信長、宣教師と手を握って、仏教勢力を倒す2020/07/14 06:56

 世界の覇権を巡る、スペインを代表とするキリスト教国と、イスラム教のオスマン帝国との争いは、1571年のレパントの海戦でのキリスト教勢力の勝利で決着した。 スペインは、さらに全世界を勢力下に収めようと、インドのゴアなどを軍事力で占領、改宗させるのに拷問も使った。 日本でも、織田信長とタッグを組んで、それを進めようとしていた。 鍵となる最大の障壁が、仏教勢力だった。 その中心が大坂の石山本願寺(住職顕如)で、各地の大名と信長包囲網をつくり、1570(元亀元)年~80(天正8)年の十年間の戦いを続けた。

 日本布教長カブラルは、信長を改宗させることを目指す。 改宗によって、心を支配することで、ヨーロッパ型の思想や社会を広めようとした(コレイア リスボン大学教授)。 信長は改宗しなかったが、一族や家臣の改宗は許した。 宣教師の報告書にある、秀吉の信長への報告、「宣教師は征服計画を持っている」。 信長は、それを知りながら、仏教勢力を倒すための、軍事物資を得るため、リスクに目をつむって、宣教師と手を握った。

 スペイン、バルセロナ近郊の聖イグナシオ洞窟教会に、聖人として高山右近の絵が掲げられている。 高山右近は、石山本願寺に近い摂津の領主だった。 宣教師は切り札として、1578(天正8)年、高槻城で高山右近と接触、信長に合力するよう右近を説得する。 信長軍に1万人のキリシタン援軍が加わり、ついに石山本願寺を破る。