スペインの世界制覇に日本軍事力を利用する意図2020/07/15 06:38

 戦国日本は、絶え間なく軍事力を究め、軍事革命ともいうべき変化を起こしていた。 鉄砲国産化による独自の技術革新がみられる。 田中眞奈子昭和女子大学准教授は、国産のスタンダード国友の鉄砲(火縄銃)と、海外産の鉄砲の銃身の材質を比較し、国友の方が均等で、銃身の強度が安定しており、それは鍛造の技法に秘密があるとした。

 信長の直轄地、堺に、鉄砲製造に関する2万点の古文書がある。 大量生産のために、独自のイノベーションがあり、銃身、銃床、火蓋と、パーツごとの職人がいて、分業で生産が進められていた。 30万丁、日本は世界一の銃大国になっていた。

 アレッサンドロ・バリヤーノ宣教師は、この日本の軍事力を、スペインの世界戦略に組み込もうとしていた。 安土城の青瓦と同じ青瓦が、城下の神学校(セミナリオ)でも許されていたほど、信長との深い関係があった。 スペインの日本征服計画を加速させる出来事が起きる。 スペインの征服王、フェリペ2世が、ポルトガルを併合して、世界地図を塗り替えた。 130隻の軍艦を擁するスペインの無敵艦隊は、ポルトガルの植民地をつぎつぎに呑み込み、フェリペ2世は「アジア征服に尽力せよ」と命令、戦国日本を揺るがす。 スペイン、セビリアのインディアヌス文書館の史料は、最大の目標はアジア最大の国土と人口を持つ中国(明)の征服であり、その鍵は日本の軍事力で中国征服が可能になると分析していた。(セビリア大学フアン・ヒル名誉教授)

 だが、信長と宣教師の蜜月は、終わりに近づいていた。 信長は「われ神にならん」と、天下統一を目前に自信を深め、自らこの世の支配者だと宣言した。 宣教師は、信長は意のままにならないと、新たな計画を立てる。 長崎をキリシタン大名から譲り受けて、支配下にし、1580(天正8)年、大砲を九州に持ち込み、中国征服のプラットホームにする。 九州中には10万人のキリシタンがいて、大きな勢力となっており、信長の脅威であった。 宣教師グネッキ・オルガンティーノは、「われらは日本人の心を盗みに来た、悪魔の手から霊魂を救うため」と。

 両者の関係は、突然の事件で、断ち切られる。 1582(天正10)年、本能寺の変だ。 宣教師の記録には、「信長は襲撃を察知できていなかった。薙刀で戦ったが、銃弾を受けた」とある。 信長の野望は砕け散ったが、宣教師の計画は止まらない。