アジアを発火点に「最初の世界戦争」の危機2020/07/16 07:00

 信長の野望は砕け散ったが、宣教師の計画は止まらない。 1582(天正10)年、明智光秀と羽柴秀吉の山崎の戦い、宣教師は秀吉勝利とにらんで、高山右近らキリシタン大名に秀吉方に加わるように働きかける。 秀吉の政権中枢に、黒田官兵衛、高山右近、蒲生氏郷、黒田長政、小西行長がいた。 秀吉の時代、日本のキリシタンは、30万人を突破する。 スペインのアジア征服計画は、加速する。 中国(明)は、金・銀、陶磁器、絹織物にあふれた世界一豊かな国だった。

 クライマックスがやってくる。 1587(天正15)年、宣教師ガスパル・コエリヨは秀吉に、目標は宣教師と一致しているので、明国への出兵、遠征を働きかける。 軍艦をお貸しする、キリシタンも意のままに働く、と。

 1592(文禄元)年、秀吉は朝鮮へ出兵(中国征服の足掛かり)する。 明は大規模な援軍を朝鮮に派遣し、総兵力74万人の大戦争になる。 最前線で戦わされたキリシタン大名に犠牲が続出したが、キリシタン大名の弱体化は、秀吉のもう一つの思惑だった。 バテレン追放令も出され、布教は禁止される。

 宣教師にとっては、想定外の事態が判明する。 スペインの植民地、フィリピンに秀吉の密偵が現れ、秀吉の野心はフィリピンにまで及んでいたのだ。 スペイン王に送られる大量の金を狙い、スペインの宝である植民地も奪い、朝鮮出兵の資金を得て、明国を打ち滅ぼすためだった。

 有史以来、未曽有の事態だった。 アジアを発火点に、「最初の世界戦争」が起きようとしていた。 ヨーロッパ対アジアの戦争だ。

 1598(慶長3)年、事態は一転する。 フェリペ2世が急死、その5日後、豊臣秀吉が死去する。 日本軍は朝鮮半島から撤退し、中国征服計画は幕を閉じた。 スペインの国力は急速に衰退、オランダ、イギリスという新興国が台頭し、覇権を争うことになる。