明智光秀は、なぜ謀反を起こしたか2020/08/04 06:59

 浅見雅一さんは、第四章「光秀の意図」で、周辺の動きを考察する。 光秀は、6月3日に細川藤孝に援軍を要請したらしい、藤孝の息子、忠興の妻は光秀の娘・玉(のちのガラシャ)という姻戚だから、当然期待したところ、藤孝は突如家督を忠興に譲り、剃髪した。 忠興と交渉してくれという返事だったが、忠興も剃髪してしまった。 光秀は、かなり状況が逼迫していたのだろう、9日に二度目の要請をして、政権を自分の息子の十五郎と娘婿の忠興に譲りたいと申し出たが、細川家はこの要請も断っている。

 浅見雅一さんは、光秀は、オルガンティーノが高山右近に、光秀に与しないように促すであろうと推測していた可能性があるとする。 それでも教会に危害を加えようとしていないのは、息子たちのことが念頭にあったからではないか。 本能寺の変のあと、右近は、光秀に与しなかっただけでなく、光秀を討つ側に回っている。 しかも、坂本城の攻略では、右近が先鋒を務めており、明智秀満が率いる籠城側は戦うことなく自刃しているのだ。

 浅見雅一さんが「本能寺の変」に興味を持ったのは、妻で青山学院大学准教授の安廷苑(アンジョンウォン)さんが『細川ガラシャ―キリシタン史料から見た生涯』(中公新書)を執筆中、ガラシャが変を起こした父をどう思っていたのか、右近を恨んでいなかったのかと、訊かれたのがきっかけだったそうだ。 安廷苑さんによれば、ガラシャに洗礼を授けることを決めたのも、司教(信徒を導くこと)を担当したのも、オルガンティーノであった。 浅見雅一さんは、オルガンティーノは、父光秀のこと、坂本城で自刃した妹や弟十五郎たちのことをガラシャに伝えたのではないか(直接会ったことはない、書翰や伝言でやりとりしていた)、とする。 ガラシャと明智家を結びつけたのは、オルガンティーノ、キリシタン教会だった。

 浅見雅一さんは、光秀がなぜ謀反を起こしたか、明智家の存続が脅かされるような事態が発生し、それは信長との関係によるものなので、信長を殺害すれば回避できるからであった、と推論する。 明智家を、もっとはっきりいえば、嫡子十五郎を守ろうとしたのではないか。 そして光秀が、謀反を起こしてまで守ろうとしたものは、娘ガラシャの死に反映されている、とする。 (ガラシャは、1600(慶長5)年関ケ原の戦いで忠興が出陣中、石田三成から大坂城に入り人質になるよう命じられるが拒否、玉造の細川邸を包囲され、家老に自らを斬らせて果てた。) 父光秀の仇である豊臣方の人質になることなど、光秀の娘として到底受け入れられなかったはずである。 彼女が自らの命よりも優先したのは、細川家の存続であり、彼女の息子が家督を継ぐことだった(三男、忠利が継いだ)。

 「本能寺の変」という歴史的大事件をめぐって、キリシタン史料を再検討していくと、光秀と子供たちとの親子関係、キリシタン教会がつなげた親子の絆が伝わってくる、と浅見雅一さんは結論する。

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