福沢三八、グラスゴー大学で夏目漱石の問題を受験2020/08/12 06:59

 ヘンリー・ダイアーがエンジニアをめざしてグラスゴー大学にやって来た日本人留学生を支援した話だが、それにヘンリー・ダイアーが関係したとは知らずに、以前、私も書いたことがあった。 『福澤手帖』132号(2007年3月)に「スコットランドにW・K・バルトンの記念碑建つ―百七年目の帰郷」に、日本人留学生が最も多かったのもスコットランドかもしれないとし、福沢の三男、三八はグラスゴー大学に留学したのだが、入学試験の第二外国語に日本語を希望し、大学の依頼でロンドン留学中の夏目漱石が試験を担当している(このことについては『福澤手帖』28号、北政已さんの「グラスゴウ大学と福沢三八―日蘇交流の一視点―」に詳しい)と、書いていた。

 加藤詔士先生も「ヘンリー・ダイアー エンジニア教育の創出」で当然、この件に触れている。 ただし、「入学試験」でなく、卒業に必要な「資格試験」なのだそうだ。 「1901(明治34)年に新入生の福澤三八が卒業に必要な資格試験の中の外国語選択科目に日本語も認定してほしいと大学に願い出たとき、ダイアーは同試験を管理・監督する委員会に働きかけた。これが功を奏したことで、日本人留学生は大いに便宜が図られることになった。興味深いことに、初代の日本語試験委員は夏目漱石であって、ロンドンに留学していた秋期と春期の二度出題した。それを受験し合格した留学生は、福澤三八、鹿島龍蔵、佐藤恒二、岩根友愛の四氏である。」

 実は以前、加藤詔士先生から『漱石と「學鐙」』(小山慶太編著・丸善出版・2017年)を頂戴していた。 丸善の明治30年創刊の広報誌「學鐙」創刊120年、夏目漱石生誕150年の記念出版で、「學鐙」に載った漱石自身の原稿と漱石関連の記事25本を収録した本だ。 その中に、加藤詔士先生の「グラスゴウ大学日本語試験委員・夏目漱石」(上)(中)(下)の3本が収録されていた。 「學鐙」1992年3月号~5月号の掲載、当時の肩書は神戸商科大学教授だった。