慶應高校生、原武史さんのローカル線の旅2020/09/27 07:12

 5月6日から11日まで、「三種の神器が乗った列車」から、「靖国神社への臨時列車と山口誓子」、「高松宮と皇族専用車「スイロネフ381」」まで、原武史さんの朝日新聞土曜be連載『歴史のダイヤグラム』を読んで、書かせてもらった。 その中でも宮中祭祀を重視した昭和天皇の姿を描いた原武史さんの『昭和天皇』(岩波新書・2008年)を引いた。 『昭和天皇』の著者紹介には、「1962年東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社、東京社会部記者として昭和天皇の最晩年を取材。東京大学大学院博士課程中退。」とある。

 その原武史さんが、慶應義塾高校に在学していたことを、8月22日の『歴史のダイヤグラム』で、初めて知った。 日中線(にっちゅうせん)というローカル線に乗ったという話である。 日中線は、福島県の喜多方-熱塩間11.6キロを結び、一日3往復しかなかった。 赤字がふくらみ、国鉄解体より前の1984(昭和59)年4月に廃止されている。 原武史さんは、高校2年生だった1980(昭和55)年2月26日、友人のAさんと日中線に乗った。

 「当時の私は慶応義塾高校に通っていた。慶応の付属校だったが、環境になじめず外部受験を考えていた。もし落ちれば、同級生が大学生になっているのに自分だけ浪人することになる。ただし慶応にない学部なら、落ちても慶応の学部に推薦される。この特例を利用して東京医科歯科大学歯学部を受験しようと考え、4月には理科系のクラスに進もうと決めていた。/歯科医になりたいわけでもないのに、慶応から出たいがために歯学部を受けるというのは、どう見ても動機が不純だった。自分でもこの矛盾にはうすうす気づいていた。後期の試験が終わって春休みに入ると、ふとこの世の果てのようなところまで鉄道で行きたくなった。」

 そのとき思い浮かんだのが鉄道雑誌で見た熱塩駅の写真だった。 先端が湾曲した洋風屋根の駅舎、機関車を付け替えるための側線、それらは一日3往復しかないローカル線の終着駅とは思えぬほど堂々としていた。 1年のときのクラスメートで、鉄道好きだったAを誘うと、すぐ一緒に行きたいと言った。

 喜多方を午後4時4分に出る熱塩ゆきの列車に乗った。 ディーゼル機関車が古い客車を2両牽引していた。 熱塩駅は写真で見た印象とは違って、無人駅で、駅舎の壁面は剥げ落ち、側線は雪に覆われていた。 原さんは、雪道をかきわけるようにして駅の手前にあった小さな鉄橋の脇まで走り、喜多方ゆきとなって折り返す列車を撮影した。 その時撮った、雪の中、客車を牽引するディーゼル機関車DE10-39の写真が、朝日新聞に掲載されている。

 「この日は駅に近い熱塩温泉の旅館に泊まった。温泉街の一番奥にある旅館で、裏には墓地があった。Aと一晩中話しこんだが、このとき彼が学業を放棄してひたすら文学書を読みあさっていたことを初めて知った。Aが自ら命を絶ったのは、それから3年後のことだった。」

コメント

_ 丁々発止 ― 2020/09/27 17:25

日中線の廃線跡は枝垂桜の並木が綺麗な遊歩道が、喜多方から途中まで整備されてます。機関車・ラッセル車の展示もあり開花シーズンは見応えがあり 楽しい散策が出来ます。

_ 轟亭(丁々発止さん) ― 2020/09/28 09:17

日中線が、何で日中線というのか気になって、検索したら、ご教示の「しだれ桜散歩道」や熱塩駅などの写真が沢山出てきました。日中線は、日中温泉というのが先にあるからだそうで。

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