高校卒業旅行、テント担いで紀州へ2020/09/28 07:06

テントを張り、餅を焼く

 慶應義塾志木高校を卒業した1960(昭和35)年春、3月24日から4月2日までの10日間、5人の仲間でテントをかついで、紀の国を旅した。 短歌まがいの下手な若書きやメモを貼り込んだ「1960 KINOKUNI 高校時代のエンドマーク」というアルバムが残っていた。 4人は赤松晋、鈴木邦彦、湊邦彦、森川功の諸君、理科系クラスだったが、全員経済学部への進学が決まっていた。

 テントは近所のボーイスカウトで借りた。 テント旅行の訓練に、多摩川の河原で、予備キャンプをやり、川の水でお湯を沸かしたりした。 アメ横で缶詰などの食料や燃料、鍋等を買い、交通公社に通って、周遊券の手配をした。

 溜り場の新宿区南榎町の赤松君宅に集合、シュラフや4貫目(15キロ)のザックを背負い、3月24日23時35分東京駅発の夜行で、名古屋へ、東海道新幹線の開通はこの4年後だ。 2日目、3月25日(小雨)、伊勢神宮へ、並んで五十鈴川の冷たい水に手を入れている。 <伊勢宮に荘厳な森今はなく嵐の跡をかなしくとどむ> 伊勢湾台風は、その前年1959年9月26日。 二見浦を見て、賢島まで移動、テントを張ったが、最初から雨になって往生した。

 3日目、3月26日(雨のち晴)、賢島から鵜方まで近鉄(千円ずつ集めた全体会計に、75円(@15円、現在230円))御木本真珠島(250円(@50円))を見て、紀勢線で熊野市へ、晴れて明るくなり、南紀に入るんだという感じがした。 紀勢線の上の第二稲荷山キャンプ場にテントを張る。 私の担当で、豚鍋にした。 近くの「主婦の店」(ダイエー)で買い物、豚肉225円、野菜13円、米(@125、2.4キロか?)300円、炭・おたま50円とある。 食事後、獅子岩の浜辺で歌を歌っている。 <灘向きてそびえる獅子のほえ声をかき消す熊野の波夜に白し>