キャンプファイア、潮岬、巡航船で大島、白浜2020/09/30 07:15

那智勝浦の海岸で

 那智勝浦へ移動し、海岸にテントを張った。 夕方、猟犬のポインターを連れて散歩している旅館の主らしいおじさんに声をかけられた。 慶應の先輩とわかり、あとでバナナを差し入れしてくれた。 <先輩のくれしバナナにわが心義塾の味をしみじみと食む> 「(伊勢湾)台風で打ち上げられた漁船の板をひっぱがし、ぼくらはキャンプファイアを焚いた。 「慶應讃歌」から「黒い花びら」まで、体中の何か全部を出しつくしながら、みんなの何かがMIXされて帰ってきた時、ぼくらは眠りについた。」

 6日目、3月29日(晴)、那智勝浦-湯川-串本-潮岬-紀伊大島。

 翌朝、ぼくらがテントからノコノコ出て行くと、二人の漁師が網から伊勢エビや魚をはずしていた。 魚を売ってくれないかと相談したら、老人の方の漁師が、何とかいう魚を開いて、煮てくれた。 けっこうな朝飯となった。

 那智勝浦からトンネルをいくつか抜けて、湯川まで歩いた。 串本で橋杭岩を見て、潮岬へ行った。 昼にうどんを食べているが、一人30円。 潮岬で、森川君がはぐれた。 <友いるを祈ってくれしみかん売り地球がまるき潮の岬に> 無事、合流、「ここは串本、向いは大島、仲を取り持つ巡航船」(10分で、20円)に乗り、紀伊大島に渡って、テントを張った。

 7日目、3月30日(晴)、紀伊大島-串本-白浜-湯浅。

白浜で、千畳敷、三段壁へ行き、平草原ビューハウスに登って、西に紀伊水道、南に吉野熊野国立公園、西に熊野三千六百峰の大パノラマを望む。 紀伊湯浅へ移動して、同級の東明良君(工学部に進学)が合流参加、その夜は東君の叔父さんの家に泊めていただく。 <紀の国を走れる汽車のその中は三宝柑が黄金に香る> 全体会計に、おみやげ220円、東宅めし代500円、肉250円とあり、夕食はお雑煮、焼き肉とあるが、どのようにしたのか、記憶にない。 紀伊湯浅が醤油発祥の地で、みかんの有田は「ありだ」と読むことを知った。

コメント

_ 赤松 晋 ― 2020/09/30 13:23

 旅行など殆どしない僕にとって、高校最後のこの旅は、最も懐かしく印象に残る、楽しい旅だった。ただ覚えているのは断片的、勝浦の浜は砂ではなく細かな小石で、打ち寄せるたびに潮騒の音が凄かった。感傷的になってみんなで大きな声で歌った。馬場さんの記録に大感謝。

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