薛濤(せつとう)、その人と詩2020/10/18 07:36

 井波律子さんが唐代の代表的女性詩人として、魚玄機とともにその名を挙げた、薛濤(せつとう・768?-832?)は成都(四川省)の有名な妓女だが、その生き方も詩風もきわめて穏やかで、魚玄機と対照的だったとある。

 佐藤春夫の『春夫詩抄』(岩波文庫)に、支那歴朝名妓詩抄「車塵集」があるので、パラパラやってみたら、薛濤の詩が二つあった。 佐藤春夫による「原作者の事その他」の「薛濤」は、こうだ。 「六世紀末。唐の名妓である。もと長安の良家の女として生まる。八九歳の頃から韻律を解したが或日、その父が井戸の傍の梧(ご・アオギリ)を指さして、庭除一古梧、聳幹入雲中と歌ふと、この女児は直ぐに枝迎南北鳥、葉送往来風と続けたので、父はこの児の前途を嘆じたと傳へられてゐる。(中略)役人であつた父は蜀の任地で客死し、母は孀(やもめ)になつてこの娘を育てた。長じて詩を善くするのと眉目の秀でてゐるのとで蜀の地方長官の官邸に召されて、長官が十一人も替わる閒も、詩をもつて愛せられて諸名家の詩宴に列した。七十五歳の高齢で世を去るまでには、元稹、白居易、杜牧、劉禹錫、其の他諸家とも酬和したといふことである。世に薛濤牋と名づけて深紅で小彩のある牋は、彼女が吟咏を名士に酬献した時に自ら工夫して用ゐたものである。薛濤詩一巻が世に傳はつてゐる。古今奇観には薛濤の靈と一少年秀才との情事を寫した一篇があつて有名である。それは小泉八雲も譯してゐる。」

 春のをとめ
風花日將老
佳期尚渺渺
不結同心人
空結同心草
     薛濤

しづ心なく散る花に
なげきぞ長きわが袂(たもと)
情(なさけ)をつくす君をなみ
つむや愁ひのつくづくし

 秋の瀧
冷色初澄一帶烟
幽聲遥潟十絲絃
長來沈上牽情思
不使愁人半夜眠
        薛濤

さわやかに眼路(めぢ)澄むあたり
音(ね)に見えしかそけき琴は
かよひ來て夜半(よは)のまくらに
寝(い)もさせず人戀ふる子を

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