サムエル・コッキングと、その江の島の植物園2020/11/08 07:40

 サムエル・コッキング、名前も聞いたことがなかった。 1845(弘化2)年3月、アイルランドに生まれ、3歳で両親に連れられオーストラリアに移住、アデレードとメルボルンで暮らし、16歳の頃イギリス本国に帰国。 1869(明治2)年貿易商を志し、来日(24歳)。 2年後の1971(明治4)年、横浜居留地55番地にコッキング商会を設立、各種雑貨類や骨董品、植物などを取り扱う。 翌年、27歳で、宮田リキと結婚。

 1877(明治10)年(32歳)、この年流行したコレラの消毒薬として石炭酸を大量に輸入して、かなりの利益を得たらしく、1880(明治13)年(35歳)、江島神社の所有地であった江の島頂上部の土地500坪余(現在の亀ヶ岡広場)を妻名義で購入、別荘を建築した。 2年後の1882(明治15)年、別荘の向かいにあった江島神社の所有地で、神仏分離で廃寺になった金亀山与願寺の菜園跡の土地3200坪余を買い取り、庭園の造営を始める(植物園としては日本で3番目という)。 1884(明治17)年、横浜・平沼に自邸と石鹸工場を建設。 1885(明治18)年(40歳)江の島の庭園完成。

 コッキングの庭園は、当時の西欧の回遊式庭園の様式を持ちながらも、東洋趣味を反映して南洋の植物なども持ち込んで造営されたものといわれている。 現在もクックアロウカリアやタイミンチク、シマナンコウスギ、ツカミヒイラギなど(1971(昭和46)年、藤沢市指定天然記念物)、コッキングが持ち込んだと考えられる珍しい植物が残っている。 1888(明治21)年以後、当時、東洋最大といわれた面積900平方メートルの温室がつくられた。 基礎部分はレンガ造で、地下には水槽やボイラー室、貯炭室などが設置されていた。 2002(平成14)年の江の島植物園再整備工事の際、その下部構造が大部分残っていることが判明し、当時の国内の土木遺構として貴重なので、保存され、現在「江の島コッキング植物園温室遺構」として期間限定で公開されている。 出土したレンガに1888(明治21)年創業の横浜煉化製造会社の刻印が多数見られたことから、温室完成の時期が推察された。 (http://hotetu.net/Brick/Carved_seal_of_brick.html参照、煉瓦の刻印については、このホームページがすごい)

 1887(明治20)年横浜居留地内に発電所開設(後に横浜共同電燈会社となる)。 1889(明治22)年英国の植物学雑誌“Garden”に寄稿し、日本の植物を紹介、またこの頃、テッポウユリやハッカなどをヨーロッパに輸出。 1914(大正3)年2月26日、横浜市平沼の自宅で逝去。享年68歳。

 1923(大正12)年の関東大震災で荒廃していた庭園を、1948(昭和23)年藤沢市が買収、1949(昭和24)年「藤沢市立江ノ島熱帯植物園」として開園。 翌年、江ノ島鎌倉観光(後の江ノ島電鉄)の委託経営となり、「江の島植物園」となった。 1964(昭和39)年再び、藤沢市の運営となる。 2003(平成15)年1月江ノ島電鉄が新たに江の島展望灯台をオープンしたのに伴い、4月29日藤沢市の公園施設「江の島サムエル・コッキング苑」としてオープンした。