E・S・モース、初めて江ノ島へ行く2020/11/10 07:24

 エドワード・シルベスター・モースは、サンフランシスコから17日間の航海で横浜に着いた。 もう暗くなっていて、ホテルに所属する三丁艪の小舟、フンドシだけを身に着けた、背は低いが恐ろしく力の強い三人の日本人が、海岸までの2マイルを、物凄い程の元気で、一度も休まずに漕いだ。 彼らは実に不思議な唸り声を立て、お互いに調子をそろえて、「ヘイ ヘイチャ、ヘイ ヘイ チャ」というような音をさせ、時にこの船唄らしきものを変化させる。

 迎えた明くる朝が、モース39歳の誕生日だったというから、1877(明治10)年6月18日であり、江ノ島へ実験所の敷地を選び、建設の手配をするために行ったのは1か月後、暑い盛りの7月17日だった。 コーネル大学の卒業生で、植物学教授の矢田部教授と一緒に行った。 極めて暑い日だったので、出発を4時まで延ばし、それぞれ車夫二人つきの人力車に乗った。 車夫は、疲労のきざしをいささかも見せず、疾風のように走った。 彼らが日射病と過労で倒れないのが不思議な位だった。 路傍には、アメリカで庭に栽培する香りのいい一重の石竹が野生しており、非常に香りの高い百合が何度も見られ、その甘ったるい、肉豆蔲(にくずく・ナツメグ)の香りがあたりに漂っていた。

 江ノ島は切り立ったような島で、満潮時には水の下になる長い狭い砂洲で、陸地とつながっている。 この長い砂洲を横切る時、モースは初めて太平洋の海岸というものを見た。 ここでは、子供の時、大切に戸棚に仕舞っておいたり、博物館でおなじみになったりした亜熱帯の貝殻、例えば、たから貝、いも貝、大きなうずら貝、その他の南方の貝を、沢山拾うことができる。 これらの生物の生きたのが見られるという期待が、どれだけモースを悦ばせたかは、想像できるであろう。

 江ノ島の村は、一本の急な狭い道をなして、ごちゃごちゃに集まっている。 その道は、短い距離をおいて六段、八段の石段があるくらい急で、幅は10フィートを超えず、しかも木造の茶屋が、二階、三階建で、木の看板を張り出し幟を立てているので、暗く、しめっている。 路の両側には店舗がぎっしり並んでいて、その多くでは貝殻、海胆(うに)その他海浜で集めたいろいろな物でつくった土産物を売っている。 後の140頁に、海胆二つでつくった独楽と、小香甲の殻を共鳴器にした芦笛のスケッチがある(近年は見たことがないものだ)。