実験所の整備と台風、そして第一回の曳網2020/11/13 07:01

 実験所の建物を見つけて、準備するのには、大部時間がかかった。 万事通訳を介して説明しなければならない。 日本にテーブルなどないから、田舎の大工の石頭に長いテーブルを壁の所に置くのを、叩き込もうとする。 日本人は床に座るから、椅子などはないので、椅子を四つ作らせた。 後ろの方に、宿屋のモースの部屋で完成したテーブルと椅子の写生図が二つある。 食事をする一隅、椅子は旅行家用の畳み椅子を真似たのだが、テーブルは普通のより1フィートも高く、モースが食事をする時、モースの頭が「非常に好都合にも」、皿と同じ高さになる。 だが、食事をしながら、モースは美しい入江と、広い湾と、遠方の素晴しい富士山を眺める。

 実験所では、棚を吊らせ、辷(すべ)る仕切戸で閉まる長い窓なるものを説明し、日本人は家に鍵をかけないから、窓とドアに錠前をつけることを言って聞かせた。 モースは、横浜へ行って南京錠と鐉(かけがね)とを買い、それを自分で取り付けることにした。 同時に、アルコール、壺、銅の罐、小桶、篩(ふるい)、そして曳網を整えた。

 実験所がほぼ出来上がった日に、台風が襲来した。 横浜では、岸壁の重い覆い石が道路に打ち上げられ、大きなジャンクの残骸がホテルの前に散乱し、水路で仕事をしていた大きな蒸気浚渫船は千フィートばかり押し流されて、横倒しになった。 以来、江ノ島では非常に潮の低い時以外には、本土に渡ることが出来なくなってしまったので、何人かの船頭は団体をなしてやってくる巡礼達(一晩泊るだけのも多い)を渡して、大儲けをしている。(これで、弁天橋はまだなかったことがわかる。) 新聞によると、沿岸では大部船舶が遭難し、死人も多く出ている。

 7月30日、ついに第一回の曳網を試みることが出来た。 船頭二人の小舟で島の外側へ回り、大洋に出て、十五尋(約23m)の深さで数回引っ張った。 外山と彼の友人が船に酔ってグッタリと舟底に寝てしまったので、引き上げた材料はモース一人で点検しなければならなかった。 入江に戻って、そもそも自分に日本を訪問させた目的物、すなわち腕足類を捕らえようという希望で、もう一度曳網を入れてみた。 なんと、その第一回の網に、小さなサミセンガイが30も入っていたのだから、モースの驚きと喜びとは察してもらえるだろう。 それらはモースがかつてノースカロライナ州の海岸で研究したのと同種に見えた。