モースが記録し写生した1877(明治10)年の日本2020/11/14 07:13

 ここ数日間、モースの料理人は何度も叱られた結果、大いに気張ってしまい、今やモースはとても贅沢な暮しをしている。 今朝、モースはトーストに鶏卵を落としたものと、イギリスの「したびらめ」に似た魚を焼いたものを食べた。 正餐(夕食)には日本で最も美味な魚である鯛、新しい薩摩芋、やわらかくて美味な塩づけの薑(ショウガ)の根、及び一種の小さな瓜と梅干とが出た。

 日本人が丁寧であることを物語る最も力強い事実は、最高階級から最低階級にいたる迄、すべての人々がいずれも行儀がいいということである。 世話をされる人々は、親切にされてもそれに狎(な)れぬらしく、皆その位置をよく承知していて、尊敬を以てそれを守っている。 私の経験は、何らかの価値判断をするにはあまりに短いが、それでも今まで私の目にふれたのが、礼譲と行儀のよさばかりである事実を考えざるを得ない。 私はここ数週間、たった一人で小さな漁村に住み、漁夫の貧しい方の階級や小商人たちと交わっているのだが、彼らすべての動作はお互いの間でも、私に向っても、一般的に丁寧である。 往来で知人に会ったり、家の中で挨拶したりする時、彼らは何度も何度もお辞儀をする。 人柄のいい老人の友人同士が面会する所は誠に観物である。 お辞儀に何分かを費やし、さて話を始めた後でも、お世辞をいったり何かすると又お辞儀を始める。 私はこのような人達のまわりをうろついたり、振り返って見たりしたが、その下品な好奇心はまったく自ら恥じざるを得ない。

 E・S・モースは『日本その日その日』の「緒言」で、「本書に若(も)し価値ありとすれば、それはこれ等の記録がなされた時の日本は、数世紀に亙る奇妙な文明から目ざめてから、数ヶ年を経たばかりだという事実に立脚する。」と書いている。 その時(1877(明治10)年)にあってすら、既に、軍隊の現代的調練、公立学校の広汎な制度、陸軍、財政、農業、電信、郵便、統計等の政府の各省、及び他の現代的行政の各官署といったような変化は起っていて、東京、大阪等の大都会には、これら新制の影響が僅かに見られた。 それはわずかではあったが、しかもたった数年前、武士がすべて両刀を帯び、男子がすべて丁髷に結い、既婚夫人がすべて歯を黒くしている頃の、この国民を見た人を羨ましく思わせる程、はっきりしていた。 だがこれら外国からの新輸入物は田舎の都会や村落を、よしんば影響したにせよ極く僅かしか影響しなかった。 私の備忘録や写生図の大部分は田舎に於てなされた。 私が旅行した地域の範囲は、北緯41度に近い蝦夷の西岸オタルナイから31度の薩摩の南端に至る。 これを主として陸路、人力車並びに馬によった。 私の記録や写生図の大部分は、1千年前につくられた記録と同じであろう。 事実、この国は『土佐日記』(エーストン訳)の抄本が、私のものとよく似た光景や状態を描いている程、変化していなかったのである。

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