福沢のモース評価と、モースの福沢評価2020/11/20 07:00

 『福沢手帖』48の磯野直秀論文で触れられているところもあるが、次に(2)松崎欣一著『三田演説会と慶應義塾系演説会』(慶應義塾大学出版会・1998(平成10)年)第V章 付論 第五節 E・S・モース宛福沢書翰について、を参照しながら見ていきたい。

 福沢はモースの学識と人柄を高く評価していたらしい。 福沢は、明治11(1878)年12月18日付の文部大輔田中不二麿宛の書翰で、東京学士会院会員の追加候補者の一人として「モールス」の名を挙げている。 日本在住の多くの外国人学者の中からモース一人を推挙しているのは、福沢が彼を高く評価していることを示すものであろう、と松崎欣一さんは書いている。 『福澤諭吉書簡集』第2巻で書簡番号288の、その手紙と注(解説)をみると、同年12月9日、文部卿西郷従道の招集で、文部大輔田中の私宅に西周・加藤弘之・神田孝平・津田真道・中村正直・福沢諭吉・箕作秋坪の7人が集まり、東京学士会院設立のことを協議し賛同した。 手紙は、翌年1月15日に予定された会合を前に、福沢が幹事書記候補に旧広島師範校長吉村寅太郎(慶應義塾に学んだ文部省官吏)を、会員(上記7名)の追加候補として「杉田玄瑞・モールス・中村栗園・坊主・皇学者・杉享二・小幡篤次郎」を挙げている。 1月15日、田中の主催した文部省内修文館の会合で、田中から前会参集した7名を東京学士会院に推薦する旨の通告があり、福沢が会長に選ばれたという。

 一方、モースが福沢について言及しているのは、その著『日本その日その日』の中においてである(3巻第18章「講義と社交」39頁)。 「私は福沢氏の有名な学校で講演する招待を受けた。日本で面会した多数の名士中、福沢氏は、私に活動力も知能も最もしっかりしている人の一人だという印象を与えた。私は、実物や黒板図に依て私の講演を説明し、自然淘汰の簡単な要因を学生達に判らせようと努力した。この種の経験のどれに於ても、私は、日本人が非常に早く要点を捕らえることに気がついたが、その理由はすぐ判った。日本人は、米国人が米国の動物や植物を知っているよりも遥かに多く、日本の動植物に馴染を持っているので、事実田舎の子供が花、きのこ、昆虫その他類似の物をよく知っている程度は、米国でこれ等を蒐集し、研究する人のそれと同じなのである。」