加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』2020/11/26 07:02

     等々力短信 第1004号 2009(平成21)年10月25日               『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

 司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を11月29日からNHKが放送する。 司馬さんは生前、この小説のドラマ化を許さなかった。 軍国主義の讃美と取られることを懸念したからだという。 ドラマ『坂の上の雲』を見る前に、一読しておくとよい本がある。 加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)だ。

 加藤陽子さんは東大文学部教授、日本近現代史、とくに大恐慌後の経済危機と戦争の時代、1930年代の外交と軍事が専門という。 神奈川県の栄光学園で、歴史研究部の中高生相手の五日間の講義と質疑を通じ、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争についての「理想の教科書」作りを目ざす。 歴史学の最新の研究をちりばめながら、日中関係にしても、従来の「侵略・被侵略」という見方では見えてこない、国際的なパワー・ポリティックス、欧米列強のアジアにおける覇権をめぐる圧力の視点で描いていく。 日清戦争は帝国主義時代のロシアとイギリスの代理戦争で、ロシアの南下を恐れたイギリスは、直前に日英通商条約で不平等条約の一部改訂を約束して、日本の背中を押した。 日露戦争の前には、同じことをアメリカがやり、戦争二年前には日英同盟も結ばれている。 日露戦争は、日本をイギリス・アメリカが、ロシアをドイツ・フランスが、財政的に援助した代理戦争だった、という。

 当然、福沢諭吉(1835年でなく1834年生れとなっている)がなぜ「脱亜論」を書いたのかも出てきて、坂野潤治さんの読み方が紹介されている。 福沢はもう一つ、藩閥政治下で、民党は議会の多数を占めているにもかかわらず、政府のポストに食い込めない。 福沢は、朝鮮が日本の勢力権になるなら、政党員がそこの官僚ポストを取れと言ったと、121頁にある。 出典がないので探すと、1895(明治28)年4月18日の時事新報論説「大に民論者を用ゆ可し」(『全集』15巻)だった。 日清戦争の遂行では一致した官民が、戦後も反目しないようにという、持論である官民調和論上の主張だ。

ジャン=ジャック・ルソー「戦争とは相手国の憲法を書きかえるもの」、胡適駐米大使の、中国が日本との戦争を正面から引き受け、二、三年負け続けて、アメリカやソ連を巻き込む「日本切腹、中国介錯論」、真珠湾攻撃の総指揮官淵田美津雄が戦後キリスト教の布教師になってアメリカを回ったなど、驚くべき見方、知らなかった人物や話が、随所に出てくる。 過去の事例が、現在・未来の平和に生かされんことを。