ダンシタンジヤウ」タケヒコトメイメイ2020/12/09 07:29

 秋吉利雄は末次郎を連れて湯島の宿に戻った。 「トヨさん、生まれてくる子はすべて祝福されるべきだと思います」と末次郎がかすれた、うわずった声で言った。 トヨは畳の上に伏して、泣き始めた。 大きく肩を揺すって泣きながら手を伸ばして末次郎の手を取り、顔に押し当て、途切れる声で「末次郎さん、ありがとう、ありがとうございます」と繰り返し言った。 「生涯、あなたに尽くします」「それと主に」

 利雄は、すぐにも横須賀鎮守府に帰らねばならなかった。 末次郎とトヨはこのまま九州に帰ることにし、牛島惣太郎牧師とミ子(みね)とチヨに電報を打った。 フタリメヲトニナル」トシヲ

 翌大正7(1918)年3月、練習艦隊の装甲巡洋艦「浅間」で太平洋を航行していた秋吉利雄中尉に電報が届いた。 海軍省の友人Mに中継を頼んでおいたのだ。 電信の下士官がにこにこしながら、「おめでとうございます。息子さん誕生のようですね」と言って手渡してくれた。

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 「いや、甥だ」とわたしは答えた。 まずは安堵。 妹は人生の危機を乗り越えることができた。 末次郎のおかげだ。 タケヒコは「武彦」だろう。 文武のうち武を選んでわたしと同じように軍人になるかもしれない。 もちろん文を取るかもしれない。 あるいは母に倣って聖職者、または父に倣って経国済民の道を行くか。

 池澤夏樹さんの小説「また会う日まで」は、11月30日の118回で、ここまで来た。 福永武彦は、文を取った。 私は高校時代に愛読した堀辰雄の関係で、その名前と人を知っており、石原裕次郎が読んでいると聞いて、『草の花』を読んだ。 その後、『海市』を読み、本棚には中公文庫の『玩草亭 百花譜』福永武彦画文集 上中下三巻もある。 信濃追分の四季折々の野の花々をスケッチして短文を添えた、美しい珍本だ。 その著者紹介に、「大正7年(1918)、福岡県二日市に生まれる」とある。

 それからの人生を、「また会う日まで」の序章「終わりの思い」で、帰天の日の近い秋吉利雄が、走馬燈のように回想する。 福永末次郎は、武彦が生まれたあと、東大を卒業して三井銀行に入る。 妻のトヨは、次男文彦を産むが、産褥熱で亡くなる。 末次郎は、長男武彦を手元に残し、1歳3か月の文彦を、秋吉利雄・チヨ夫妻の養子に出す。 文彦を養子にした3年後、チヨは長女洋子を産む。 しかし、チヨは恒雄を産んで亡くなり、恒雄も四日後、その後を追った。 牛島惣太郎牧師の縁で迎えたアメリカ帰りの後妻のヨ子(よね)は、三男五女を産んだ。 武彦は、一高から一年遅れで東大に入った。 文彦は、仙台の五城塾から聖公会系の立教大学に進み、演劇に関心を持って仲間と児童劇団をやったりしていたが、17歳の若さで利雄の勤務先に近い聖路加病院で死ぬ。

 そうした波乱万丈の物語が、これからくわしく展開されるのだろう。 それにしても、大正期までも、女性のお産による死が多かったのを、あらためて知ることになった。

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