三田あるこう会、全生庵圓朝の墓と「ぽん太之墓」2020/12/11 07:02

 12月6日、第528回三田あるこう会で、千駄木から谷中、上野まで歩いた。 10時半の千代田線の千駄木駅集合だが、駅は上り下りの二層になっているため、「団子坂」方面改札から外に出て集合する。 まず、全生庵へ。 山岡鉄舟や三遊亭圓朝の墓所へ行ったが、圓朝の墓の左隅に「ぽん太之墓」というのがある。 それについて、ブログにする前に書いたことがあった。

        「ぽん太之墓」<小人閑居日記 2001.12.14.>

 9月、虎鶇・佐怒賀正美さんがASAHIネットで開いておられる光塵句会を拝見していたら、不孤・中原徳子さんの「盆花の草臥れてをりぽん太の墓」が話題になっていた。 「ぽん太之墓」は、谷中全生庵の三遊亭圓朝居士のお墓の傍らにある。 中原さんが、「馴染の芸妓さんかしら、そうだったらいいなぁ、と思ったのでした。 どなたかご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さいませ」と書いておられたので、調べてみた。 句会に書き込もうとしたら、句会参加者以外の書き込みができず、以下のメールを中原さんに送った。

 ぽん太は、残念ながら圓朝の馴染の芸者ではなく、三遊亭ぽん太、愛弟子だそうです。 永井啓夫さんの『三遊亭圓朝』(青蛙房)の「墓所」の項に、「その傍らには愛弟子で、円朝より早く世を去ったぽん太の墓がある」とあります。

 三遊亭ぽん太は、圓朝がまだ若い28歳の慶應2年頃に、弟子入りした愛弟子で、愛嬌者として知られていたそうです。 もともと、出入りの髪結いの下剃りで、勝公といい、またぽん太と愛称されていた由、愚直ながらも愛嬌のある性格が圓朝に愛されて、その弟子になったということです。 圓朝の墓側面の「耳しひて聞き定めけり露の音」は、圓朝の辞世だそうです。

コメント

_ 中原徳子 ― 2021/01/01 16:19

轟亭さま
お年賀状ありがとうございました。
自分が「ぽん太の墓」の句を詠んだこともこんなコメントを付けたことも忘却の彼方でした。全生庵に二度ほど行ったのは覚えてますが。
それにつけても、轟亭さんの記憶力吸収力抽出力には驚嘆するばかりです。
しばらくご無沙汰しましたが、やはり毎日お邪魔しなくちゃと思います。 思いがけず嬉しく御礼申し上げます。
不孤

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック