北岡伸一著『明治維新の意味』<等々力短信 第1138号 2020(令和2).12.25.>2020/12/25 07:13

 8年ほど前、仲間内の情報交流会で、ある証券会社会長の「日暮れて、道遠し 日本の現状」という話を聴いた。 内向きの平和志向にどっぷり浸かって、過去20年間の停滞があり、先の見通しは出口も見えない、強いリーダーシップを持ったリーダーの出現が望まれる、と。 竹森俊平慶應義塾大学教授も当時の新聞で、バブル崩壊後、政治が決めるべき時に決めず、問題が先送りされて財政は巨額の借金を積み上げた、日本経済はデフレから脱却できない、「失われた20年 政治の責任」を語っていた。

 北岡伸一さんの『明治維新の意味』(新潮選書)を読む。 大久保利通は、明治11(1878)年5月14日に紀尾井坂で暗殺された日、早朝出勤前、安積疏水の件で訪れた福島県令山吉盛典に、維新以来の10年は「創業の時期」だった、これからは「内治を整え、国力の充実を図る時期」で自分も大いに働けるつもりだ、その先の第三の時期はもう後進に譲りたいと語った。 明治初めの10年間に、迅速に達成された改革は偉大だ。

 北岡さんは、維新が巨大なエネルギーを解放した、明治という時代の本質を、日露戦争までの範囲で捉え、石橋湛山の論に共感して、政治、法律、社会の制度と思想に、デモクラチックの改革を行ったことにある、とする。 政治参加の拡大は、伝統的な制約からの解放であり、自由化だった。 その最も重要な鍵は、西洋文明の導入であり、学問と言論の自由であった。 幕末期の政治をリードし、幕府を倒し、新政府を樹立するのに成功したのは、下級武士出身の有能な人材だった。 彼らは、王政復古からわずか3年余の明治4(1871)年、廃藩置県を断行し、中央集権制度を実現、それからわずか5年で、武士の身分そのものを廃止してしまった。 明治18(1885)年、内閣制度ができたとき、初代内閣総理大臣になったのは、以前は政治発言など到底許されない農民の子で、父が足軽になった伊藤博文である。 維新から内閣制度の創設、憲法の制定、議会の開設に至る変革は、民主化革命、自由化革命であり、人材登用革命だった。

 こうした迅速な改革が実現した要因として、北岡さんは、大久保利通、伊藤博文、そして福沢諭吉に注目する。 大久保は明治6(1873)年11月、伊藤に書き送った国家構想、憲法構想「立憲政体に関する意見書」の中で、憲法調査にあたるように勧め、その際、衆智を集めるため、福沢諭吉も誘うように勧めたが、伊藤は婉曲に断った。

 国連大使を務め、現在JICA(国際協力機構)理事長の北岡さんは、途上国の発展の難しさを痛感している。 国民を統合し、経済的、社会的、政治的に発展することが、経済発展はしても民主主義へと発展していくのが、難しい。 非西洋から先進国となり、伝統と近代を両立させた日本の明治維新は、世界史的な意義を持つという。

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