池澤夏樹・池澤春菜著『ぜんぶ本の話』 ― 2021/01/27 08:21
池澤夏樹さんの朝日新聞連載小説「また会う日まで」を読んでいる流れで、池澤夏樹・池澤春菜著『ぜんぶ本の話』(毎日新聞出版・2020年6月)を読んだ。
池澤夏樹さんは、1945年生まれ(「戦後」と同い年)、父・福永武彦の三冊を選んだ巻末の一文で、「息子は父の文学についてこれくらいのことを書けるようになった。そして父の享年をはるかに超えてしまった。今は父の一族のことを書くべく準備を重ねている。九州北部から出て多くの事績を挙げた聖公会の信徒たち。」と書いている。
池澤春菜さんは、1975年生まれ(「等々力短信」と同い年)、「声優・歌手・エッセイスト」・脚本家(別名)、夏樹さんをパパ、「一番近くに本の話をできる人のいる幸せ。うむ、やっぱり父で良かった」という。
池澤夏樹さんの父親が福永武彦なのは知っていたが、この本を読んで、ご本人が筆名でないのに、なぜ池澤なのかや、母親の詩人・原條あき子のことが、初めてよくわかった。 夏樹さんは、小説を書き始めても、名字が違っていたから、福永の息子であることは、世間的には知られずに書くことができたのは、良かったと思う、という。 吉行淳之介、石原慎太郎と、芥川賞を回顧する座談会で、吉行が「石原君、知ってるかい。この人、福永の息子だよ」って言い、石原は知らなくて、驚いていた、彼は『草の花』の熱烈なファンなんだ、とある。 前にも書いたが、私が高校生の頃だったか、『草の花』を読んだのは、石原裕次郎が読んでいると聞いたからだった。 裕次郎は、慎太郎に薦められたのだろうか。
母親の原條あき子は、定型詩の集団「マチネ・ポエティク」に属す詩人で、いい詩を書いた。 集団には、福永武彦、中村真一郎、加藤周一らがいて、定型押韻詩をつくっていた。 夏樹さんが通った練馬区立大泉第二中学校の校歌は、原條あき子の作詞だった。 学校名の連呼がないところが新鮮だった、とある。
風の息吹に包まれ
樹々の緑にかこまれ
友よ 我ら この日々を
新しき知恵で 飾らん
心未来に向かいて
眼真理を探り
友よ 我ら 描く夢は
あの広き空を充たさん
四季を映して麗わし
武蔵野よ 母なる地
永遠の平和を守る力
友よ 我ら 養わん
池澤夏樹さんは、1945年生まれ(「戦後」と同い年)、父・福永武彦の三冊を選んだ巻末の一文で、「息子は父の文学についてこれくらいのことを書けるようになった。そして父の享年をはるかに超えてしまった。今は父の一族のことを書くべく準備を重ねている。九州北部から出て多くの事績を挙げた聖公会の信徒たち。」と書いている。
池澤春菜さんは、1975年生まれ(「等々力短信」と同い年)、「声優・歌手・エッセイスト」・脚本家(別名)、夏樹さんをパパ、「一番近くに本の話をできる人のいる幸せ。うむ、やっぱり父で良かった」という。
池澤夏樹さんの父親が福永武彦なのは知っていたが、この本を読んで、ご本人が筆名でないのに、なぜ池澤なのかや、母親の詩人・原條あき子のことが、初めてよくわかった。 夏樹さんは、小説を書き始めても、名字が違っていたから、福永の息子であることは、世間的には知られずに書くことができたのは、良かったと思う、という。 吉行淳之介、石原慎太郎と、芥川賞を回顧する座談会で、吉行が「石原君、知ってるかい。この人、福永の息子だよ」って言い、石原は知らなくて、驚いていた、彼は『草の花』の熱烈なファンなんだ、とある。 前にも書いたが、私が高校生の頃だったか、『草の花』を読んだのは、石原裕次郎が読んでいると聞いたからだった。 裕次郎は、慎太郎に薦められたのだろうか。
母親の原條あき子は、定型詩の集団「マチネ・ポエティク」に属す詩人で、いい詩を書いた。 集団には、福永武彦、中村真一郎、加藤周一らがいて、定型押韻詩をつくっていた。 夏樹さんが通った練馬区立大泉第二中学校の校歌は、原條あき子の作詞だった。 学校名の連呼がないところが新鮮だった、とある。
風の息吹に包まれ
樹々の緑にかこまれ
友よ 我ら この日々を
新しき知恵で 飾らん
心未来に向かいて
眼真理を探り
友よ 我ら 描く夢は
あの広き空を充たさん
四季を映して麗わし
武蔵野よ 母なる地
永遠の平和を守る力
友よ 我ら 養わん
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