淋しく暗い畠の小径で…2021/02/12 08:06

 汁粉屋を出てから、また黙って歩いて行くと、商店の燈火は次第に少なく、両側には茅葺の屋根やら生垣やらが続き始め、道の行手や人家の間からも茂った松の木立の空に聳えるのが、星の光と共に物淋しく見えはじめる。 人の往来(ゆきき)も一歩一歩途絶え勝ちになる。 鳥打帽の男は、黙ってついて来る。

 季子は汁粉屋にいた時の大胆不敵な覚悟に似ず、俄に歩調を早め、やがて道端のポストを目当に、逃げるようにとある小径に曲ろうとした。
 男はぐっと身近に寄り添って来て、
「お宅はこの横町……。」
「ええ。」と季子は答えた。 しかし季子の家は横町を行尽して、京成電車の踏切を越し、それからまだ大分歩かなければならないのだ。 小径の両側には生垣や竹垣がつづいていて、国道よりも一層さびしく人は一人も通らないが、門柱の電燈や、窓から漏れる人家の灯影で真の闇にはなっていない。 季子の呼吸は歩調と共に大分せわしくなっている。 男はどこまで自分の後をつけて来るのだろう。 線路を越した向の松原――時々この辺では一番物騒な噂のある松原まで行くのを待っているのではなかろうか。 いっそ今の中、手出しをしてくれればいいのにと云うような気がして来ないでもない。

生垣が尽きて片側は広い畠になっているらしく、遥か向うの松林の間から此方へ走って来る電車の灯が見えた。 季子はあたりのこの淋しさと暗さとに乗じて、男が手を下し初めるのはきっと此辺にちがいない。 いよいよ日頃の妄想の実現される時が来たのだと思うと、忽(たちまち)身体中が顫(ふるえ)出し、歩けば転びそうな気がして、一足も先へは踏み出されなくなった。 畠の縁に茂った草が柔く擽(くすぐ)るように足の指にさわる。 季子は突然そこへ蹲踞(しゃが)んでしまった。

季子は男の腕が矢庭に自分の身体を突き倒すものとばかり思込んで、蹲踞むと共に眼をつぶって両手に顔をかくした。

電車は松林の外を通り過ぎてしまった。 けれども自分の身体には何も触るものがない。 手をはなし顔をあげて見ると、男は初め自分が草の上に蹲踞んだのに心づかず、二、三歩行き過ぎてから気がついたらしく、少し離れた処に立っていて、
「田舎道はいいですね。僕も失礼。」と笑を含む声と共に、草の中に水を流す音をさせ始めた。 男は季子の蹲踞んだのは同じような用をたすためだと思ったらしい。

季子は立ち上がるや否や、失望と恥しさと、腹立たしさとに、覚えず、「左様なら。」と鋭く言捨て、もと来た小径の方へと走り去った。