西行、芭蕉、モーパッサンの寂寞と詩興2021/02/17 06:46

 爆弾は荷風の家と蔵書を焼いた。 父母のみならず、祖父の手にした書巻と、自分が西洋から携え帰ったものがあった。 今、辞書の一冊も持たない身となった。 文筆生活の前途を望見する時、すこぶる途法に暮れながら、西行と芭蕉の事を思い浮かべる。 この二人の詩人が、いずれも家を捨て、放浪の生涯に身を終ったことに心づいたからである。 家がなければ平生詩作の参考に供すべき書巻を持っていよう筈がない。 さびしき二人の作品は座右の書物から興会(きょうかい・興味の集まる所)を得たものではなく、直接道途の観察と羇旅(きりょ)の哀愁から得たものである。

 一人は宮中護衛の職務と妻子を捨て、他の一人もまた同じように祖先伝来の家禄を顧みず、共に放浪の自由にあこがれ、別離の哀愁に人の運命を悲しんだ。 いずれにしても希望の声を世に伝えたものではない。

 しかるに一時栄えた昭和の軍人政府は日蓮宗の経文の或辞句をさえ抹消させながら、世に山家集と七部集の存することを忘れて問わなかった。 徳川幕府の有司は京伝を罰し、種彦春水の罪を糾弾したが、西行と芭蕉の書の汎(あまね)く世に行なわれている事には更に注意するところがなかった。 酷吏の眼光はサーチライトの如く鋭くなかったのだ。

 西行は鎌倉幕府の将軍に謁見を許され銀製の猫を賜わるの光栄に浴したが、用なきものとしてこれを道に遊ぶ児童に与えて去った。 今の世の学者詩人にして政府の与るものを無用として道に捨てたなら、恐らく身の安全を保つことは出来まい。 鎌倉時代は武断の世であっても今に比すればなお余裕があった。

 芭蕉の声を聞いてその門に集ったものの中には武士も少なくなかった。 彼らは屡(しばしば)夜を徹して無用なる文字の遊戯に耽ったが、人の子を賊(そこ)なうものとしてその会合は禁止せられず時勢と共に益(ますます)盛(さかん)になった。 中央公論社や改造社の運命よりも遥に安全だった。

 芭蕉が旅の目的は寂寞であって、これなくしては自然の美も詩興を呼ぶに足りなかったように思われる。 寂寞と詩興とは一致して離すべからざるものであったらしい。 仏蘭西の人モーパッサンも寂寞を追及して止む能わざる病的の性癖があった。

 芭蕉とモーパッサンとは時代と民族を異にしていながら、何が故にその求むるところに変りがなかったのであろう。 二人とも人生の浮誉名声に安んじ得なかった為だと思う。 浮誉名声は人間相互の関係から、人の行動と心情とを拘束する嫌いを生じる。 ここにおいて心の自由と境地の寂寞とはまた一致して分かちがたいものとなる。 人生の真相は寂寞の底に沈んで初めてこれを見るのであろう。   (つづく)

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