『文明論之概略』の主題を四つにまとめる[三][四] ― 2021/03/14 07:26
[三]主体の形成とその方法と仮に名付けた主題は、前二者と相互に関連したさまざまなテーマの総称といえよう。 福澤は、『文明論之概略』全体を通じて、文明の進歩を担う主体としての個人と、国民国家を担う主体としての国民の形成を大きな課題としていた。 国民という統一体はいうまでもなく、個人も、何よりもまず他者との関係―「交際」―を作り出し発展させてゆく主体としてとらえていた。 文明の進歩はこのような「交際」とその能力の発展を意味した。 福澤は、個人や国民の主体としての形成―「自由」や「独立」の発展―を広い意味で人間関係を形成する方法の開発という面からとらえた。
「議論の本位を定る事」の中心が、「事物の利害得失」を判断する「議論」において、正しく問題設定するという営みにあることは確かだろう。 その問題設定には、問題を正しく設定するという面と、それについて意見を異にする者の「議論」に合意を作り出すという面と、両面を含んでいるようだ。 問題を正しく設定することは、文明史を正しく理解し、その中での、今、ここでという状況を的確にとらえることに連なっているといえよう。
社会現象についての局部にとらわれない大局的な把握の強調、そのための「近因」から「遠因」に遡り「確実不抜の規則」を発見するという方法はその一例である。 「時節と場所」とを察し、「軽重大小」「前後緩急」を判断する「公智」あるいは「聡明叡智」についての議論は、そのような正しい状況把握と問題設定の方法についての集約した説明といえよう。 その他、「試験」―実験―についての議論を始め、このような方法についての論究は『文明論之概略』全編にちりばめられている。
福澤にとっては、このような方法と同時に、「異説争論」の間から合意を作り出すことが、切実な課題だった。 そのために彼は説得の方法、広い意味でのレトリックの問題に強い関心を示した。 『文明論之概略』全体が、福澤の立場からして、「異説」を信じる人々を、文章によって説得したり「籠絡」したりする壮大なレトリックの試みだった。 福澤は同時期、はなし言葉での合意形成という方法にも強い関心をもち、「衆論」「衆議」が「習慣」となって社会全体にゆきわたることを強調し、議論の組織化の巧拙による「衆智者結合の変性」の仕組みを分析し、「衆議」の場としての自発的結社―「会社」「仲間」「仲間の組合」「仲間の申合せ」など―の役割に注目する。
[四]これらの主題が示す課題の担い手として、『文明論之概略』の中で重要な位置を占めるのが、知識人―福澤のことばでは「学者」―の課題であり、とりわけ国民国家の形成における政府との役割の分担と批判の関係であった。 福澤は、日本において政府を担う者もまた知識人の中から出るという現実を前提にして議論を進める。 政府とその外に立つ知識人とは、互にその活動を妨害せずに刺激しあい、協力することによって文明の進歩に寄与するとされた。 知識人は文明の理論によって世論をリードし、そのことを通して、政府の方向を左右する、働きをもつ。 そこには、文明の進歩と国民国家の形成(178頁、「形勢」は誤植ではないか)における、政府と知識人との対等の立場での批判と協力という関係よりも、さらに積極的な知識人の役割が示されているといえよう。
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