海舟お宝余波 ― 2021/03/22 07:02
海舟お宝余波 <等々力短信 第815号 1998.8.5.>
小三治の『ま・く・ら』の話を書いて、それを発送した7月24日、三宅坂 の国立小劇場で、小三治のまくらを聴いた。 この日の落語研究会は、志ん朝 も出たため、たいへんな熱気で、二人に対する拍手の大きさなどは、近来まれ だった。 『素人鰻』の小三治は、まくらで、こんな話をした。
テレビはあまり見ませんがね、やっていると、つい見てしまうのが「なんと か鑑定団」てやつですね。 先日も、ありとあらゆるお宝を持ち出して来た人 がいて、自身の希望価格は8千万円というのに、鑑定結果が2万5千円という のが、おかしかった。 王羲之の書というのが、印刷だってんですからね。 書いたものか、印刷かぐらい、自分で分かりそうなもんじゃありませんか。
実は、あたしのところにも、お宝が一つありましてね。 あった、といった 方がいいかもしれません。 勝海舟から、徳川様へ宛てた手紙です。 学校の 先生をしていた親父が、徳川なんとか様の家庭教師もやってました。 それで 戴いたというんです。 親父が家庭教師をしていたのはたしかで、盆暮に徳川 様の何というんでしたかな、サーバントが、果物篭を下げて挨拶に来ていたの を覚えていますから…。 都内で三本の指に入るというような果物屋の果物篭 で、徳川様の方は玄関で包装紙をビリビリと破って、中身を見せて置いていき ました。 われわれには、そのどこどこのという包装紙の方が大事なんですが ね。 勝海舟の手紙ですが、薄い和紙で、ぱたぱたと畳めて、一個所虫が食っ て穴が開いていました。 親父がくれたので、始めは額に入れて飾っていたん ですが、その内にしまいこんで、いくら探しても見つかりません。 ただ、そ れだけの話です。
そういえば、わが家にも、勝海舟の掛け軸というのがあった。 「人爵より 天爵」とかいう詩だった。 たしか父が郷里山形県鶴岡の骨董屋で手に入れた ものだ。 なぜ鶴岡で勝海舟かという話を、聞いたことがあるような気もする が、今は霧の彼方だ。 酒井家鶴岡庄内藩は徳川譜代の土地柄で、戊辰戦争の 折には奥羽越列藩同盟の一員として新政府軍と戦って破れた。 降伏調印の使 者として西郷隆盛が鶴岡に入る。 他の藩にくらべ庄内藩の降伏条件は寛大だ ったが、西郷の発案だといわれ、それを恩に感じる鶴岡では西郷の人気があ る。 だから庄内地方には西郷の遺墨が99点余もあるらしい。 この掛け 軸、徳川佐幕の土地だから勝海舟なのか、西郷との縁から勝海舟なのか、ある いは詩が西郷作だったか、その行方、真贋ともに、今は不明である。
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