小三治夫人、郡山和世著『噺家カミサン繁盛記』2021/03/24 06:49

      噺家のオカミサン <等々力短信 第872号 2000.3.25.>

 等々力短信で紹介した本の中で、「あの本買ったよ」「読んだ」「本屋で見 つからない」などと、一番反響の多かったのは、一昨年夏の柳家小三治著 『ま・く・ら』だった。 先日、本屋の講談社文庫の平台に、その『ま・く・ ら』があり、帯に「カミサンの本もよろしく→」とあって、郡山和世著『噺家 カミサン繁盛記』が並んでいた。 つい手が出た。 単行本刊行時は、買わな かったのだが…。 小三治の本名は郡山剛蔵、和世さんはもちろん、その夫人 である。 小三治と三つ違い1942年生れというから、同世代人だ。 医者 の娘として大切に育てられ、女子美術大学工芸科の染色に在学中、二ッ目にな る小三治(当時さん治)の配り物のてぬぐいのデザインを引き受けたのが、そ もなれそめという。 交際4年、和世さんが学校を卒業した年の暮、小三治が 「結婚しようと思っているひとが新潟にいる」と告白したことから、事態は急 展開する。 お互いの気持が確認できて、和世さんは「都の酢こんぶ」をやた ら食べだし、父親は「何が何でも、第一子は産まなきゃならぬ」と医学的見地 から小三治を脅(おど)す。 小三治は今でも「家族ぐるみで、網にかけやが った」と歯がみするという。

 かくて噺家のカミサンとなり、結婚三年目小三治が真打になった、まだ二十 代の頃から、家の中を弟子がウロウロしていることになる。 風呂から裸で出 て、年頃の兄ィちゃんとハチ合わせしたり、ミニスカートが流行った時は、弟 子の目を気にして鏡の前で、どの程度屈んだらパンツが見えてしまうか実験し ているのを、すっかり目撃されていたりした。 以来、ミニスカートはやめ て、ジーパンに切り替えたという。 忙しい小三治は家にいないことが多く、 その間、オカミサンと弟子たちの壮絶なバトルが続く。 小三治は厳しいとい う評判で、何人もの弟子が、噺家に向かなかったり、失敗をしたりして、やめ させられた。

 そして三十年、〆治、喜多八、はん治、福治、柳亭燕路(えんじ)と五人の 真打、小のり、横目家助平(すけへい)、三三(さんざ)、三之助の二ッ目、下 座志望の芸大邦楽科卒の女弟子「その」を加えて、十人の弟子が育った。 難 関の国立小劇場の落語研究会に、ほとんどが出演したことがあるのは、その実 力が研究会のプロデューサーの目にかなったからだろう。 時々沈滞とか、も う駄目とかいわれることもある落語という芸が、次々に現れてくる若手によっ て、連綿と引き継がれていくのは、こうした師匠の家庭の苦労と犠牲があって のことなのだ。

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