文明化の教育や事業に大名華族の資金を2021/03/28 07:47

 小室正紀さんの講演「摂州三田藩の人々と福澤諭吉」のつづき。 三田(さんだ)での洋学校開設計画は、急激な洋化に反対する農民一揆などあって頓挫した。 福沢には、中津市学校(明治4(1871)年開校)と同じような「市郷(地域的共同体)私立の学塾」の期待があった。 中津市学校は、旧藩主の出資金と旧藩士の積立金によるもので、開明派主従の資金による私塾だった。 教育理念・組織・教員は、慶應義塾の支援によった。 福沢は、三田だけでなく各地で、人民自ら学校をつくろうとする教育力が弱いので、旧藩主従の人脈とお金に期待したのだ。

 旧三田藩の主従は、福沢の実業論を信奉し実践した。 明治6(1873)年、神戸に志摩三商会を設立した。 明治2年の丸屋商社(丸善)設立を倣ったもの。 志摩三商会の、「志摩」は九鬼水軍の故地志摩、「三」は三田の三。 貿易業では振るわなかったが、白洲退蔵や小寺泰次郎(旧藩下士)らの判断による新興地神戸の土地投機で莫大な利益を上げた。 九鬼隆義は、新潟の油田、北海道開拓事業、製塩業などいろいろと投資を計画したが、福沢は「純然たる大名殿様」商売、九鬼家の資産保全を心配して、生糸貿易のような安定的な経済活動への誘導をしている。 人の独立を助ける教育や文明化への投資を期待してのことだ。

 この時期、政府は文明化の資金が足りず、官営の事業を売却したかった。 福沢は、文明化の元金としての大名華族資産に注目した。 「横浜新橋間の鉄道を切売す可きを論ず」(『家庭叢談』明治9年『全集』19巻)で、横浜新橋間の鉄道を華族(旧大名)が買い受け、小口株式に分けて売り出し、それで得た資本で次の路線計画に取り組み、それも小口の株式に分けて売れば、鉄道が次第に人民の所有に=「一国の工事」になる、と説いた。 (「夫れ鉄道は所謂「パブリック、オーク」公益共便の建築、即ち一国の工事なり。」) ここで、福沢の「国」は、「国」=Nationであって、現在使われているような、政府・官(Government)ではない。 「国」は、人民全体、国土、人民の文化を指す。 小室さんは、この福沢の使い分けに注目して、このNationの概念は、若い頃に聴いたWoody Guthrieのフォークソング“This land is your land”のThis land is your land/ This land is my land/From California/To the New York Island/……This land was made for you and me. のlandだと話した。