福沢諭吉と万国公法<等々力短信 第1142号 2021(令和3).4.25.>2021/04/17 07:35

 大河ドラマ『青天を衝く』第6回「栄一、胸騒ぎ」の「紀行」で、下田の玉 泉寺のハリスの顕彰碑を渋沢栄一が建てたことを知り、渋沢栄一記念財団のホ ームページを見たら、「タウンゼンド・ハリス記念碑建設」(渋沢栄一伝記資料) となっていた。 ずっとタウンゼント・ハリスだと思っていたのだが、「タウン ゼンド・ハリス」(Townsend Harris)だった。 安政元(1854)年3月のペ リーとの日米和親条約締結の結果、安政3(1856)年7月、下田に着任したア メリカ総領事のハリスは、「日米修好通商条約」の締結をもくろんで、大統領の 国書は江戸にいる国王(将軍)がみずから受け取るべきだと主張し、交渉を重 ね、江戸出府を実現する。 箱根関所通過の際の点検拒否、江戸の宿舎の護衛 問題などで、外国使節に対する応接も「各国共通の礼式」を用いるべきだと主 張した。 堀田正睦老中筆頭以下の外交担当者は、修好通商条約交渉の過程で、 ハリスから列強の諸国家「間」には国際政治があり、それを統制し調整すべき 国際法(万国公法)というものが存在するという事実を、初めて教えられたの であった。

 福沢諭吉は、どうか。 『福澤諭吉事典』の事項索引には「国際法」も「万 国公法」もない。 もっとも安政元年は蘭学に志し長崎に出た年だし、安政3 年は大坂の適塾にいて、腸チフスにかかった年。 修好通商条約批准交換の咸 臨丸渡米と帰朝後の翻訳方出仕が万延元(1860)年だ。 『西洋事情』を『福 沢諭吉選集』第一巻で見る。 初編は慶應2(1866)年6月脱稿、初冬刊。 慶 應4(1868)年夏刊の外編巻之一に「各国交際」がある。 「世の文明に進む に従て一法を設け、これを万国公法と名(なづ)けり。抑(そもそ)も世上に 一種の全権ありて万国必ず此公法を守る可しと命を下すに非(あら)ざれども、 国として此公法を破れば必ず敵を招くが故に、各国共にこれを遵奉せざるもの なし。各国の間、互に使節を遣(やり)て其国へ在留せしむるも、其国々互に 公法の趣意を忘るゝこと無(なか)らんが為めなり。故に両国の間に怨(うら み)を結ぶと雖(いえど)も、使節は敵国に在留して更に害を被(こうむ)る ことなし。」

『選集』第一巻、松沢弘陽さんの解説を読む。 福沢は、日本は国を開いて 西洋諸国の「附合」に加わるよう勧めた。 遣欧使節一年の旅で、西洋諸国の 国際関係――力と力がしのぎを削る権力政治によって支配されながら、それに もかかわらず「世界普遍の道理」が強国をも弱小国をもひとしく規制している という構造――を身をもって学んだ。 チェンバーズ『政治経済学』の国際政 治論で、権力均衡の原理により、強弱大小異なる諸国が「条約」によって、「各 国附合」を取り結ぶことが可能だと学び、「世界普遍の道理」と「万国公法」を 信頼すれば、開国は有益で恐れるに及ばないとした。

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