再び、保阪正康さんの皇室論 ― 2021/04/26 07:09
以前、保阪正康さんの皇室論<小人閑居日記 2018.9.6.>というのを書いていた。 大正天皇や、貞明皇后の「大正天皇から摂政宮」という天皇像が、出て来るので、再録しておきたい。
保阪正康さんの皇室論<小人閑居日記 2018.9.6.>
保阪正康さんは、ラジオのその対談の続きで、「天皇」像について、つぎのような話をしていた。 明治期は文明開化・富国強兵の中心としての「天皇」、戦前は軍が天皇と国民の間に入り、天皇を利用し、戦争をして、敗戦となった。 新しい日本国憲法下の象徴としての、昭和天皇の時代があり、今上陛下のメッセージとなった。 つぎの天皇は、10年くらい後に、イギリスの王室などと、世界皇室サミットを開催しているのではないか、と。 そこで私は以前「等々力短信」に、「保坂正康さんの皇室論」というのを、書いていたのを思い出した。
等々力短信 第979号 2007(平成19)年9月25日
保阪正康さんの皇室論
ノンフィクション作家の保阪正康さんが「週刊ブックレビュー」(NHK・BS2)で、近代日本のキーワードは「石油」であり、石油は一貫して国策に影響してきたと、推薦していたので、岩間敏著『石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』(朝日新書)を読み、とても勉強になった。 それで保阪正康さんが新潮社の『波』に1月号から連載中の「即位と崩御―天皇の家族史―」を、あらためて読んでみることにした。
2004(平成16)年5月10日の皇太子浩宮殿下のいわゆる「人格否定発言」の真意は、21世紀に入って皇室がどのような方向に進もうとしているのだろうかという視点で見つめなければ、わからないと、保阪さんは説き始める。 近代の天皇はそれぞれ、先帝と異なるイメージを目ざして、天皇像をつくりあげてきた。 天皇その人の役割は、時代の中にあり、時代とともにある。 次の時代に移行する時、天皇がつくりあげるべき像は、まぎれもなく新しい時代の顔を持っている、というのである。
婚約された頃には、雅子妃の経歴を生かしての皇室外交が、皇太子ご夫妻のイメージしていた皇太子像、天皇像だったと思われる。 それがいつまでも血肉化できず、充分につかみきれないところに、雅子妃の困惑があり、おふたりの焦燥感があるのだろう。 牧野伸顕や小泉信三クラスの補佐役の不在も指摘されている。 保阪さんは、岡野弘彦氏の証言を引いて、雅子さまの並み外れた能力に言及し、雅子妃が示す皇太子妃像を静かに待てば、その姿の中に次の時代の天皇像が描かれるに違いない、と考える。
そこで保阪さんが展開するのが、雅子妃が理想とすべきは大正天皇妃の貞明皇后だという論である。 貞明皇后は社会の動きや人情の機微にふれ、きわめて鋭敏な歴史感覚を持ち、自らの意思を通す強い性格を持っていた。 大正天皇のご病気がはっきりした大正10年代、その重い責任を自覚して、政治家・原敬、宮廷官僚・牧野伸顕、元老・西園寺公望、東宮大夫・珍田捨己という人物達を、自らの股肱の臣として信頼を寄せ、彼等とともに「大正天皇から摂政宮」という天皇像を確立していった。 実際には「女性天皇」の時代ともいうべき社会空間が出来上がっていた、というのだ。
「即位と崩御―天皇の家族史―」の連載は続いている。 私は福沢諭吉『帝室論』の「帝室は政治社外のものなり」「帝室は独り万年の春にして、人民これを仰げば、悠然として和気を催ふす可し」を頭におきながら、興味深く読み進めている。
(なお、保阪正康著『即位と崩御―天皇の家族史―』は現在、新潮文庫に入っている。)
最近のコメント