決起部隊と川島陸相、天皇と海軍、二つの密約2021/05/04 07:13

事件初日、決起部隊と川島義之陸軍大臣の間で、密約が交わされていた。 決起部隊に「軟弱だ」と詰問された川島陸相は、「決起の主旨に賛同し昭和維新の断行」を約束していたのだ。 直後、川島陸相は、決起部隊が軍事政権のトップに担ごうとしていた皇道派の幹部、真崎甚三郎大将に接触、「謀議の結果、決起部隊の要求をいれ、軍政府樹立を決意」した、と機密文書は記している。

昭和天皇は事件発生当初から断固鎮圧を貫いたとされてきた。 しかし機密文書には「上」(かみ)と記された大元帥、昭和天皇が事件に直面し、揺れ動く発言が記されていた。 天皇は事件発生直後、海軍軍令部総長である伏見宮に宮中で会っていた。 伏見宮は、天皇より26歳年長、長年海軍の中枢にいて、影響力のある皇族だ。 天皇は、海軍の青年士官の合流はないかと尋ね、伏見宮は、その心配はないと答えた。 天皇は当時34歳、軍部の中には、麻雀やゴルフをして、大元帥の務めを果たしていないとの批判的な声もあり、陸軍少佐の秩父宮や海軍少佐の高松宮を代わりに天皇に担ごうという情報まであった。 天皇は伏見宮に、陸戦隊(海軍の陸上戦闘部隊)の指揮官には部下を十分握り得る人物を選任せよ、と注文を付けた。