二・二六事件の影響、戦争への道2021/05/07 07:05

 日本を揺るがせた、戦慄の4日間。 陸軍上層部は、天皇と決起部隊の間で迷走を続けた。 それにもかかわらず、事件の責任は、決起部隊の青年将校や、それにつながる思想家らにあると断定。 弁護人なし、非公開、一審のみの「暗黒裁判」と呼ばれた軍法会議で、事件の実態を明らかにしないまま、首謀者とされた19名を処刑し、陸軍は組織の不安は取り除かれたと強調した。 一方で、事件への恐怖心を利用し、政治への関与を強めていった。 政治家も財界人も、もう陸軍の言うことに対して、本格的に抵抗する気力を失っていく。

 34歳で事件に直面した昭和天皇は、軍部に軽視されることもあった中、陸海軍を動かし、自らの立場を守り通した。 クーデター鎮圧の成功は、結果的に、天皇の権威を高めることにつながった。 軍事君主としての天皇の役割、天皇の権威、神格化が大いに進んだ。

 事件後、日本は戦争への道を突き進んでいく。 高まった天皇の権威を、軍部は最大限利用して、天皇を頂点とする軍国主義を推し進める。 国民に対して命を捧げるよう求めていく。

 機密文書六冊のうち、事件後、重要な情報をまとめたと思われる簿冊があり、そこには事件発生の7日前、東京憲兵隊長が海軍大臣直属の次官に、襲撃される重臣の名前、首謀者の実名を報告している極秘情報があった。 海軍は二・二六事件の計画を事前に知っていた。 しかし、その事実は闇に葬られていた。 なぜ、事件は止められなかったのか。 海軍が記録し続けた極秘文書には、事件の詳細な経過だけでなく、陸軍と海軍の闇も残されていた。

 極秘文書から浮かび上がったのは、二・二六事件の全貌、そして、不都合な事実を隠し、自らを守ろうとする組織の姿だった。 事実とは何か。 私たちは、事実を知らないまま、再び誤った道へと歩んではいないか。 83年の時を超えて、蘇った最高機密文書、向き合うべき事実から目をそむけ戦争への道を歩んでいった日本の姿を今、私たちに伝えている。 そう、この番組は投げかけた。