ビゴー、風刺画と日本人生活スケッチ2021/05/13 07:16

 フランス人画家ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(1860-1927)は、パリに生まれ、エコール・デ・ボザールに学ぶ。 ゾラやフェリックス・ビュオらとの交際によりジャポニスムの影響を受け、日本に関心を持つ。 ビュオに銅版画技術を学び、21歳の明治15(1882)年1月26日、浮世絵の世界に憧れ、日本美術の真髄をじかに触れて学びたいと来日した。 初めは横浜で画塾を開くが、同年10月から2年間、陸軍士官学校の画学教師を務め、翌年から4年間に4冊の銅版画集を刊行する。 いったんは帰国を決意するが、西欧ジャーナリズムの通信員の仕事を得て長期滞在するようになり、エネルギーにあふれ勤勉な日本人、西洋文明が怒涛の如く入り込んできた社会の中で、それに吞み込まれることなく、巧みに吸収しながら逞しく生きている民衆に、限りない愛着を持ち出した。 同時に『トバエ』(明治20(1887)年~明治23(1890)年)などの風刺雑誌や風刺画集を刊行し始めるが、自由民権運動や外国居留民の要求を無視して、近代化へとひた走る日本支配層に、条約改正、内外政局、日本人の辛辣な風刺で、楯突き続けたので、官憲にマークされて尾行におののき、出版物の発禁処分の不安を常に持ち続けた。 日清戦争にはイギリスの新聞『グラフィック』の特派画家として従軍している。

 権力との厳しい対決の中での救いは、純朴な庶民たちとの暖かい心の交流だった。 おびただしい数の日本人生活のスケッチを描き、代表作『日本人生活のユーモア』全5冊を残した。 日本への永住を決意し、明治27(1894)年には日本女性佐野マスと結婚し、息子モーリスをもうけるが、条約改正による「居留地廃止・官憲の弾圧」を恐れ、マスと離婚し、明治32(1899)年6月モーリスを伴って帰国する。 18年間、日本に居ついたことになる。

 ビゴーのスケッチは、写真も映画も未発達の時代に、日本人にはあたりまえすぎて文章にも絵にも記録しなかったものを、描きとどめている点で、貴重だ。