伊藤博文のバカンス、実は憲法草案を練っていた2021/05/16 07:27

 『続ビゴー日本素描集』(岩波文庫)の「明治の人物」では、伊藤博文、井上馨、三島通庸、森有礼、青木周蔵、後藤象二郎、浜尾新、ボアソナード、ワーグマン、フーク、メッケル、サルダ、ヘボン、プリンクリー、ヤンソン、コッキング、ベルタンが描かれている。

 明治20(1887)年2月に創刊した『トバエ』で、ビゴーは日本の政治を批判する論陣を張る。 9月15日『トバエ』15号に、《バカンス 田舎の楽しみ 夏島》という絵がある。 伊藤博文が夏島の別荘で、団扇で扇いでいる一人の芸者の膝枕で横になり、もう一人の芸者が差し出す徳利から盃に酒を注いでもらっている。 火鉢、鯛ののったお膳、別の徳利、そして三味線が転がっている。 掛け軸の書は「臥枕窈(?)宛(?)美人膝 腥握堂々天下権 夏島乃畔り(?)高まくら」と読める。

 神奈川県金沢八景の夏島を望む野島公園にある伊藤博文の別邸には、2014年10月に志木高同窓会の俳句の会で行ったことがあった。 明治20(1887)年6月1日、伊藤博文首相は伊藤巳代治、金子堅太郎らと神奈川県金沢で秘密裡に憲法草案の検討を始める。 のちに井上毅が参加し、ついで金沢近くの夏島に伊藤の別邸が完成し、そこで作業が続けられた。 清水勲さんは、ビゴーは夏島で伊藤が憲法草案を練っていることを知らなかったようで、艶福家の伊藤のことだから、こんなバカンスを想像して描いたのであろう、という。

「枇杷の会」吟行で帝国憲法草創の地へ<小人閑居日記 2014.10.29.>には、こう書いていた。 金沢近辺は大日本帝国憲法草案づくりの地である。 さっそく<帝国憲法起草の間から秋の海>という句が浮んだけれど、この別邸は明治31(1898)年の建築だという。 明治20(1887)年の6月4日から9月初旬まで、伊藤博文の夏島別荘(大正時代に埋め立てられて、島ではなく、半島の一部なっている。現、横須賀市夏島町)と金沢の料理旅館・東屋(あずまや)を舞台に、伊藤、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らが、憲法の草案をつくった。 夏島の別荘には伊藤だけが寝起きし、伊東と金子は事務所のように使っていた東屋から通い、井上は野島館から小舟で通ったそうだ。 以前、野島の伊藤別邸に建っていた「憲法草創の処」(金子堅太郎)の碑は、洲崎町の洲崎交差点近くの東屋跡地付近に移設されたという。 大日本帝国憲法は、明治22(1889)年2月11日に欽定憲法として発布された。

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