元治元(1864)年3月「一会桑政権」が誕生2021/05/29 07:01

 23日の『青天を衝け』第15回は「篤太夫、薩摩潜入」、平岡円四郎は、サムライらしく栄一を篤太夫、喜作を成一郎と命名、一橋家家臣にした。 そしてさっそく篤太夫に隠密となって、大坂の「摂海防禦御台場築造御用掛」の薩摩人折田要蔵(徳井優)の所へ行き、折田が引き抜くに足る有能な人物か探るように命じた。

 ドラマの時期が、はっきりした。 元治元(1864)年3月25日、一橋慶喜は、将軍後見職を免じられ、同時に禁裏御守衛総督(摂海防御指揮も)に就任したのだ。 朝廷から任ぜられた職だが、幕府から役料月7500俵を受け取る合意があったそうだ。 会津の松平容保(小日向星一)が京都守護職、桑名の松平定敬(小日向春平)が京都所司代になり、一橋・会津・桑名のいわゆる「一会桑政権」が誕生した(星一と春平は、小日向文世の息子だそうだ)。 慶喜は、江戸の幕閣から独立した動きを見せ、在京幕府勢力の指導的役割を果たすようになる。

そのため薩摩の島津久光(池田成志)と大久保一蔵(利通・石丸幹二)は、西郷吉之助(博多華丸)を残して京を去る。

 慶喜は、水戸の武田耕雲斎(津田寛治)に兵を送るよう要請するも、藤田小四郎(藤原季節)らが筑波山で攘夷の挙兵してしまう。

 西郷吉之助は、一橋から折田を探りに来た篤太夫に目をつけ、「やらんか薩摩の豚鍋」と、声をかける。 「舌がとろけるようで、旨いです」。 西郷「平岡殿も、面白かお人を、拾うてきたものだ」。

 西郷「この世はどうなる?」 篤太夫「幕府は倒れる、天子様の朝廷には兵力がない、豪族政治になるだろう、徳川の代りは一橋がよい」 西郷「薩摩じゃいけもうはんか」 篤太夫「薩摩の今のお殿様にそれだけの徳がおありですか。おありならそれもよいと思います。それがしは徳のある方が才のある者を用いてこの国を一つにまとめてもらいてぇ。しかし一橋の殿もああ見えて、なかなかのお方で…。」                                 (「篤太夫、薩摩潜入」つづく)