大名同盟派も、『西洋事情』から立憲君主制を模索2021/06/19 07:03

 平山洋さんにご説をブログに書いたことをお知らせしたら、さっそくお返事を頂いた。 平山さんのお許しを得て、引いておく。 「同時期、大名同盟派は、『西洋事情』中の米国憲法を下敷きに天皇中心の立憲君主制を模索していました。詳しくは『「福沢諭吉」とは誰か』の「『西洋事情』の衝撃」をご覧ください。」とあり、さらにこんな貴重な推論も書かれていた。 「福沢は慶喜側近グループと図って、将軍を君主とし、天皇を法王とする立憲君主制の憲法を作っていたと想像します。水戸藩諸生党出身の慶喜側近グループはあらかた暗殺されたことと福沢が第2回米国行で不在になったため、没になったのではないかと。」

 私は以前、平山洋さんの『「福沢諭吉」とは誰か』(ミネルヴァ書房)を読んで、<等々力短信 第1101号 2017.11.25.>「『西洋事情』の衝撃」に、以下のように書いていた。

平山洋さんは、2008年のミネルヴァ日本評伝選『福沢諭吉』で、『西洋事情』がベストセラーとなったのは、幕末の当時、日本の国家体制をどうするべきか考えていた人々にとって、冒頭で文明政治の六条件を提示した上、西洋諸国の政治体制が詳述されていたからだとした。 『「福沢諭吉」とは誰か』では、第二章「『西洋事情』の衝撃と日本人」で、『西洋事情』の影響をさらにくわしく述べていることが、私の関心を引いた。

 福沢は慶應2(1866)年10月の『西洋事情』初編で、文明政治の六条件として、(1)自由の尊重と法律の寛容、(2)信教の自由、(3)科学技術の奨励、(4)学校、教育制度の整備、(5)法律による安定した政治体制のもとでの産業振興、(6)福祉の充実と貧民の救済、を挙げた。 アメリカ合衆国の独立宣言、憲法を全文紹介し、イギリスの憲政史や税制の詳細、国債、紙幣、商人会社、外交、兵制、新聞、病院等にもふれた。

 平山洋さんは、これが維新前後の思想界に甚大な影響を与えたというのだ。 慶應3年(1867)5月の赤松小三郎(信州上田藩兵学者、薩摩藩兵学教授)「口上書」から山本覚馬「管見」まで、大政奉還を挟んでの約1年間に書かれた新体制に向けての提言や、坂本龍馬の「新政府綱領八策」、明治新政府から出された由利公正ら立案の「五箇条の誓文」や福岡孝悌ら起草の「政体書」といった重要文書が、ことごとく福沢諭吉の著作、とりわけ『西洋事情』初編の強い影響を受けていたことを、それぞれ例証する。

 それにも関わらず、なぜ『西洋事情』にもっと高い評価が与えられてこなかったのか。 平山洋さんは、三点を挙げる。 第一は、明治維新を挟んで活動した人々にとって、『西洋事情』を読んだ時の衝撃はあまりにも自明で、わざわざ表明する必要を感じなかった。 第二は、福沢の明治政府への非協力が、新政府始動時に彼の与えた影響について言及させにくくしたのではないか。 第三に、日本憲政史研究における『西洋事情』の完全無視が、現在の研究者の目を『西洋事情』からそらさせている。