「蔦屋重三郎は何を仕掛けたのか」2021/06/23 07:00

 2010年秋、サントリー美術館で『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は 蔦屋重三郎』という展覧会が開かれた。 その図録に、先日まで法政大学総長だった田中優子さんが、「蔦屋重三郎は何を仕掛けたのか」という一文を、鈴木俊幸氏の研究業績を下敷きにしてまとめている。

 蔦屋重三郎は、浮世絵を含めた江戸の印刷・出版物を、日本社会の必要不可欠な存在に押し上げたのではないか。 その結果、江戸文化はヨーロッパに大きな影響を与え、戦後の日本において、重要な日本文化として評価が定着した。 具体的に言えば、蔦屋は以下のようなことをおこない、そのための数々の仕掛けを作ったのである。

1、吉原の年中行事を核に、吉原を「文化の別天地・発信地」とした。

2、本を、本であるとともに、江戸の出版物と吉原と江戸文化の宣伝媒体とした。

3、連(れん)の中に入って人と人をつなげ、連を出版に結びつけ、その結果、後世の日本人に「連」の存在を知らしめた。

4、横のつながり、縦(世代間)のつながりの両方において、その間に立つ「橋渡しの人」を重要視し、そのような人々と連携した。

5、江戸文化を担うスターを生み出すことで、日本の中の「江戸っ子」と「江戸文化」に確かな位置を与えた。

6、作品の中に「キャラクター(個性を持った独特の存在)」を立ち上げる仕掛けを作った。