見立て、多重性、遊芸と結び付いた連句2021/07/18 07:32

 松岡正剛さん…ともかくも江戸文化がことごとく「見立て」でできていると喝破したのは石川淳。 南画(江戸時代に独自の様式が大成した、日本の文人画。中国の南宗画に由来。『広辞苑』)や歌舞伎の「見立て」などでは歴史の素養も必要になるけれど。 田中優子さん(以下、敬称略)…歌舞伎の『助六由縁(ゆかりの)江戸桜』は18世紀の上演、この芝居の助六は実は曽我五郎で、12世紀の人だから、なんと600年も前の人が目の前の舞台の上にいるという構造。 『仮名手本忠臣蔵』では、浅野内匠頭は塩冶判官という人として出てくる、これも400年の時間差。 こういう歴史的な二重構造によって、いろんなものがつくられる。 スケールの大きい見立てだ。 歌舞伎ではそれが登場人物の一人ひとりのなかにも平然と入っている。 松岡…だから舞台はとても多重になる。

 田中…意匠もそう。 『助六』の遊女、揚巻の衣装に注目すると、人日の節句(お正月)の打掛(岩波新書に図版)、上巳の節句、端午の節句、七夕の衣装、重陽の節句の打掛というふうに、次々に衣装を替える。 なぜかというと、揚巻は日本の四季の象徴なのだ。 見立ての世界では、象徴をともなわない人間は存在しないという考え方なのである。 松岡…そういった二重性や多重性が複雑に組み合わさって江戸文化が成り立っている。

 田中…連句がまさにそう。 連句は36句、50句、100句というふうになっているけれど、すべて2句ずつで一つの意味をつくっている。 たとえば『猿蓑』で芭蕉が「苔ながら花に並ぶる手水鉢」と詠む。 苔が花に並ぶほどきれいだった。 これに向井去来が「ひとり直りし今朝の腹立ち」と付けた。 朝から腹が立ってぷんぷんしていたが、きれいなものを見て、自然になおってしまった、と。 芭蕉の句と対に、デュアルになっている。 ところが、その次の句を付けるときには、前の前の芭蕉の句のことは忘れなければならない。 打越(うちこし)、そういう決まりになっている。 そこで野沢凡兆が、「いちどきに二日のものを喰うて置(おき)」と付ける。 そうすると、「腹が立っているのにどうして直ったの?」「二日分食べたから」と意味が変わる。 これを重ねていくのが連句。 つまり連句構造というのは、基本的には対ごとにつながっていく。 松岡…付句(つけく)がつながっていく。 よくぞこういう仕組みを考えたもんだ、画期的だ。

 田中…もともとは連歌で、宗祇がうまかったんだと思う。 それが里村紹巴(じょうは)が戦国武将たちに連歌を教えるようになって、その流れに山崎宗鑑や荒木田守武が俳諧連歌に仕立てなおしたあたりから、これが江戸文化の見立てや遊芸の感覚と結び付いたのだろう。 松岡…連歌師や俳諧師が職能としてありえたというところが、すごい。 言葉のディレクターであって、座のディレクター、それが職業として食べられる文化になっていたのだから、そこがすばらしい。 点料(報酬)をもらうわけだ。 いつごろからですか?