「プロ野球ストライキ 逆転の舞台裏」2021/09/18 07:03

 <巨人軍オーナー>としての渡辺恒雄さん<小人閑居日記 2021.8.31.>を書いたら、「アナザーストーリーズ」という番組で、「プロ野球ストライキ 逆転の舞台裏」(2020年2月4日放送)の再放送があり、球界再編成(一リーグ制)問題の全体像をあらためて振り返ることができた。

 2004(平成16)年9月18日、19日の両日、プロ野球選手会のストライキが決行され、球音が消えた。 まず登場したのは、当時の労働組合プロ野球選手会会長だった古田敦也、ファンが離れないかと心配して、イチかバチかの決断だった、と言う。 事の始まりは、2004(平成16)年6月13日、大阪近鉄バッファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併構想が発表されたことだった。 近鉄の球団経営が赤字続きで苦しかった。 突然の発表に、プロ野球選手会と、近鉄ファンを始めとする野球ファンが猛烈に反発した。 球団オーナーたち(特に巨人・渡辺恒雄、西武・堤義明、オリックス宮内義彦)は、球団数を8~10に減らして1リーグ制にする構想を持っていることが、明らかになってくる。 渡辺恒雄オーナーの、「無礼だろう、たかが選手が…」発言が、大々的に報道された。 選手会事務局はホームページで反対の発信をし、多くのファンからの反対署名が集まった。 選手会(古田のほかに、井端弘和、高橋由伸の顔が見えた)は日本プロ野球機構の球団代表相手でなく、オーナーとの直接交渉を希望するが、拒否される。 この間、ライブドアの堀江貴文代表から新規参入の申し出もあったが、近鉄とオリックスの合併は一方的に決定された。 選手会は、「2リーグ12球団維持と、翌年からの新規球団の参入」を求めて、日本プロ野球機構と数度の交渉をするが、確かな回答は得られず、9月6日に通告して、ついに9月18日、19日、初めてのプロ野球ストライキを決行する。 9月8日には、経営陣が近鉄とオリックスの合併を正式に承認していた。

 二人目の証言者は、選手会との交渉に当っていた当時の日本プロ野球機構選手関係委員長・瀬戸山隆三、ロッテの球団代表、選手会の求める「2リーグ12球団維持と、翌年からの新規球団の参入」について、「来季以降」で妥協しようと交渉したが、ストライキとなった。 最終の合意文書では「来季から」となった。

 古田がフジテレビの深夜の番組で、30歳の主婦が選手を応援している映像を見て、涙を流したのが、流れを変えた。 ストライキを支持するファンの声が、大きなうねりとなった。 インターネットが想定外のうねりとなり、プロ野球機構側も事態を収束させるのがベストだと考える。 1リーグ計画は白紙となり、来季の新規参入可能で合意された。 古田は、声は上げたけれど、やり方は考えなければと思っていた。                 (つづく)