ウィーン万国博覧会の日本館、神社と日本庭園2021/09/26 07:22

 1873(明治6)年のウィーン万国博覧会、テーマは「文化と教育」、35か国が参加し、5月1日から10月31日までの会期中、726万人が来場したという。 日本政府が初めて公式に参加し、日本館が建設された。 約1300坪の敷地に、神社と日本庭園を造り、白木の鳥居、神殿、神楽堂、反り橋を配置したほか、産業館にも浮世絵や工芸品を展示した。 岩倉使節団も6月にこの博覧会を見学し、久米邦武編『米欧回覧実記』(1878(明治11)年)にくわしい記録がある(一部風景銅版画入り)。

 出品物の選定には、オーストリア公使館員のハインリヒ・フォン・シーボルトとドイツ人のお雇い外国人ゴットフリード・ワグネルが助言した。 シーボルトは、東洋のエキゾチシズムをアピールするため人目を引く大きなものがよいとし、名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)、約高さ4mの東京谷中天王寺五重塔模型、直径2mの大太鼓、直径4mの大提灯などを選び、ワグネルは、日本的で精巧な美術工芸品を中心に、日本全国の優れた工芸品を選んだ。

 実際に出展された品々は広範囲にわたっている。 浮世絵、錦などの染織品、漆器、櫛、人形などの工芸品を始め、仏像、楽器、刀剣、甲冑、伊万里・瀬戸・薩摩焼など陶磁器に至る美術品、さらに一般庶民が日常使用している生活雑器、家具、道具、農耕具、漁具、仏具にいたる生活用品まで展示された。 販売された展示物は飛ぶように売れ、団扇(うちわ)は一週間に数千本を売りつくした。

 神社や日本庭園は会期中たいへんな評判となったが、開催までに完成が間に合わなかったので、大工や庭師の律儀で懸命な働きぶりが、見物客の目にとまった。 皇帝フランツ・ヨーゼフ一世と皇后エリザベートが、反り橋の渡り初めをしてくれた。 一行は鉋(かんな)の美しい削り屑に興味を持ち、女官に丁寧に持って帰らせたという。 会期終了後、屋外展示の建物や庭園は、イギリスのアレクサンドラ・パレス(Alexandra Palace and Park)に移築され、そこに日本村Japanese Villageが作られた。