「湯島聖堂博覧会」、東京国立博物館の始まり2021/09/29 06:57

 そこで「東京国立博物館150年の謎」というBS朝日開局20周年の記念番組。 東博、東京国立博物館は2022年に150年を迎える。 日本最大の規模で、収蔵品は12万件、うち国宝が89件、年間300回以上の展示替えが行われる、世界でも珍しい「常設展」のない博物館である。 その歴史、まず明治新政府の法整備、1871(明治4)年古器旧物保存方を布告、1876(明治9)年遺失物取扱規則を制定、埋蔵物の発見者が届けないと窃盗とみなされる、1877(明治10)年出土品の購入がすべて公費で賄われるようになった。

 1871(明治4)年、ウィーン万国博覧会への公式参加要請を受けた日本政府は、大隈重信、佐野常民を中心に陳列品収集などの準備を開始した。 佐野常民は、日本国土の豊かさと優れた伝統技術を海外に紹介し、出品した産物や工芸品などの輸出増加をめざす、さらには博覧会を開催し博物館を創設することなどを、万博参加の目的として考えた。

1872(明治5)年3月10日、日本最初の博覧会「湯島聖堂博覧会」が湯島聖堂大成殿で開かれた。 陳列品は、前年の大学南校物産会の資料を引き継ぎ、翌年のウィーン万国博覧会の参加準備を兼ねて、広く全国に出品を呼びかけ収集した。 御物を始めとする文化財と、剥製や標本など天然の産物を中心に600件余りを数えた。 会期は20日間の予定だったが、観覧者が殺到し混雑したため、4月30日まで延長、入場者総数は15万人、一日平均約3千人が観覧した。 この政府によるわが国最初の博覧会の開催をもって、東京国立博物館は創立・開館の時としている。

 初代館長、町田久成(1838(天保9)年~1891(明治24)年)は、旧薩摩藩士、政府官僚(文部省博物局)で僧侶、1865(慶応元)年イギリス留学、大英博物館を見てショックを受けた。 初代内務卿で、内閣制度発足前の実質的・事実上の首相だった大久保利通は、家格の高い親戚である町田家の世話になっていた。 そんな縁もあり、明治新政府の政策として、町田久成の博物館と殖産興業が合致した。

彰義隊の戦争で、上野は焼野原になっていた。 1878(明治11)年、上野で博物館が着工される。 しかし翌1879(明治12)年5月14日、大久保利通が暗殺され(49歳)、工事は一時中断されるが、帝室博物館とすることで、再開された。