佐伯啓思さんの『文明論之概略』引用2021/10/05 07:01

 9月25日の朝日新聞朝刊に、佐伯啓思さんの「異論のススメ スペシャル」「『国民主権』の危うさ」が出た。 見出しは、「世論に従う民主主義 その時の空気で左右 共通の将来像が必要」「知識人層は民意に同調せず動かせ」だった。 その書き出しと結論の部分に、福沢諭吉の『文明論之概略』が登場する。

 まず、書き出し。 「かつて福沢諭吉は「文明論之概略」のなかで次のようなことを書いていた。近年の日本政府は十分な成果をあげていない。政府の役人も行政府の中心人物もきわめて優秀なのに政府は成果をあげられない。その原因はどこにあるのか。その理由は、政府は「多勢」の「衆論」、つまり大衆世論に従うほかないからだ。ある政策がまずいとわかっていても世論に従うほかない。役人もすぐに衆論に追従してしまう。衆論がどのように形成されるのかはよくわからないが、衆論の向かうところ天下に敵なしであり、それは一国の政策を左右する力ももっている。だから、行政がうまくいかないのは、政府の役人の罪というより衆論の罪であり、まず衆論の非を正すことこそが天下の急務である、と。」

 「さらに次のようにもいっている。衆論の非を多少なりとも正すことのできるのは学者であるが、今日の学者はその本分を忘れて世間を走り回り、役人に利用されて目前の利害にばかり関心をよせ、品格を失っているものもいる。学者たるもの、目前の問題よりも、将来を見通せる大きな文明論にたって衆論の方向を改めさせるべきである。政府を批判するよりも、衆論の非を改める方が大事である。」

 佐伯啓思さんは、これを福沢が書いたのは1875(明治8)年だが、これを読むと150年ほどの年月を一気に飛び越してしまうような気にもなる、という。 ここでいう「学者」を広い意味での知識人層、つまりマスメディア、ジャーナリズム、評論家までを含めて理解すれば、今日の知識人層にも耳の痛い話であろう、とする。 福沢は、多数を恃(たの)んで政府に影響を与える大衆世論のもつ力とその危険を十分に察知していたわけである、というのだ。

 私は、これが『文明論之概略』のどこにあるのか、すぐには思い浮かばなかった。 まず「衆論」で『福澤諭吉事典』の索引を見たが、ない。 岩波新書の丸山眞男著『「文明論之概略」を読む』三冊本をひっくり返し、中巻で、文庫本で86~88頁、全集4巻の66~68頁らしいと推測した。(つづく)