上田保先生に文学の楽しみを教わる2021/11/09 07:02

 そこで、昭和59(1984)年4月15日の「等々力短信」第318号の「ボディー・ブロー」である。 こんなことを書いていた。

  「ノン・フィクションばかり読んでいると、むしょうに小説が読みたくなる。その逆の場合もある。 こんなことは、私だけのことなのだろうか。 本なんて、仕事に関係するものしか読まないという向きも、そういう人だからこそ、たまには文芸書を手にとってみたら、と思う。

大学の教養課程で、英語を教えていただいた一人に、上田保先生という方がいた。(訂正部分・略) 授業中、指名されても、予習していない場合は、訳さなくてもよい。 「基本人権だからな」と言うのが、口ぐせだった。 「基本的人権」ではなく、なぜか「基本人権」であった。 リチャード・オールディントンの“All Men are Enemies(:A Romance 1933)”を読んだ。 待ち合わせした女性が赤い服の正装で現れて、主人公が圧倒される場面がある。 「そんなことがあるだろう?」と上田先生。 そんなことがあるかもしれないな、と思った。 汽車がフランスからイタリアへ下っていく。 パーッと南国の明るさにつつまれ、陽気なイタリア人が乗りこんでくる。 にぎやかな食事が始まり、オレンジの香りが車内に満ちる。 不確かな記憶をたどって、今、そんなことを思い出していると、あの授業では「英語」ではなく「英文学」を、もっといえば文学の楽しみを教わったのだと気付く。 およそ、四半世紀を経て、ボディー・ブローのように効いてくる講義というものもあるのだ。

最近、読んだものでは、直木賞を受賞した神吉拓郎さんの『私生活』(文芸春秋)が面白かった。 十七の短編小説から出来ている本なのだが、それぞれの短い話の奥に、書かれなかったあれこれが豊かに広がっていて、読む者の想像を刺激する。 身につまされる話もある。 会話が実にうまい。 「かけだし老年」の三人の酒場での会話。 「シングルス」の鎌倉のテニスコートでのやりとり。 「つぎの急行」の主人公は、妻に「あんたは、ブレーキしかない人ね」と言われたのを境にして、夫婦間の理解などということを考えるのはやめにした。

先年、上田保先生が亡くなられたことを、学校の雑誌で知った。 なぜか自ら命を断たれたのであった。 一瞬、「基本人権だからな」という言葉が浮かんできた。」

「ボディー・ブロー」を書いてから37年、その四半世紀前のカマボコ兵舎教室で英文学を教えていただいてからだと、茫茫60年になる。

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