「養之如春」これを養うや春の如し2021/11/13 07:05

 「養之如春」について、16年ほど前に書いていた。 それを引く。

    「養之如春」これを養うや春の如し<小人閑居日記 2005.1.22.>

 小柴温子さんがエッセイ集『土曜日の午後IV』(近代文芸社)を送ってくださった。 小柴さんは、昨年初夏に自宅前で転んで重傷を負い、今もなお入院中と聞いていたのに、本を出されたのには、驚いた。

 その中に「井上靖展」(2000.6.)という一編があった。 世田谷文学館での展覧会で、係員に断ってパネルを書き写してきたという一節がある。

<養之如春。これを養うや春の如し。

郷里伊豆の私の家の二階にかかっている横額の文字である。

したがって意味はわからないままに、幼時からわたしの心に刻まれている言葉であり、成人してからこの四文字の意味するものを自分流に解釈し、次第にその意味の深さを知るようになった言葉である。

 養之如春の「之」には何をあてはめてもいいと思う。家庭をつくることでも、病気を癒すことでも、子供を育てることでも、仕事をすることでも何でもいい。 春の光が万物を育てるように、焦らずゆっくりやりなさいということである。

 現在、わたしはいかなる小説を書く場合でも、この四文字を念頭に置いている。焦らず、ゆっくりと、時間をかけて、と自分に言い聞かせている>

                        (『好きな言葉』(昭和五十八年)より)

 「養之如春」の横額を誰が書いたか、私は知っていた。 「グウドル氏の手套」を読んだばかりだったからである。 松本順。 癸未(みずのとひつじ)早春、即ち明治16年とも、認められていた。 横額は、もう一枚あって、それは「居敬行簡」だった。                              (引用おわり)

 今回、「居敬行簡」も調べてみたら、『論語』雍也篇第六の一に「居敬而行簡」とあり、敬に居て簡を行ない、「慎重に考えた上で、鷹揚に事をなす」、「心構えが慎み深く、行動がおおまかである」という解釈があった。