映画『わが母の記』の結末2021/11/15 07:10

 そこで10日の「井上靖の自伝的映画『わが母の記』」(原田眞人監督作品)で、「雨の日、母(樹木希林でなく、内田也哉子が演じている)や妹たちは、洪作を残して、台湾へ行ってしまい、洪作はずっと母に捨てられたのだと、思っている。 映画は、そこに一つの結論をつきつけることになるのだが、それはひとまずおいておく。」とした、結論の件である。

 確認しておくが、映画で井上靖は伊上(いがみ)洪作(役所広司)、父隼雄は隼人(三國連太郎)、母やゑは八重(樹木希林)、そして映画には出て来ない洪作が預けられる曽祖父の妾は、おかの婆さんでなくおぬい婆さんという名になっている。 おかの婆さんについていろいろ書いてきたので、樹木希林がその婆さんを演じていると思われるかもしれないが、樹木希林が演じているのは母八重である。

 八重がだんだん耄碌してきて、きちんとお返しをしないといけないので、洪作に「香典帳」を出せ、と言い出す。 そして、自分が健康を害していたので早く引き取るつもりで、おぬい婆さんの所に洪作を預けた、翌年迎えに行ったが渡してくれなかった、と。 三女琴子(宮崎あおい)が洪作に、なぜおぬい婆さんに育てられたのかと聞く。 おぬい婆さんは曽祖父の妾だったが(琴子は不潔だ、と)、曽祖父は孫の八重を分家させて、そこに母親としておぬいを入籍させた、自分に尽くしたくれた女の老後を心配したのだろう。 (隼雄(隼人)が入婿なのは、井上靖の年譜で見た。)

 八重の認知症が進み、徘徊が始まる。 洪作が原稿を書いているところに八重が来て、洪作が沼津中学に入った頃、おぬい婆さんがコロッと逝ってくれたからよかった、と言う。 そして、洪作が小学生の時、遊動円木に座って作った詩を口ずさむ。 「雨が止んだ 校庭にはたくさんの水たまりができている 太平洋 地中海 日本海 喜望峰 遊動円木の陰 だけど ぼくの一番好きなのは 地球のどこにもない 小さな海峡 お母さんと渡る海峡」 八重は、洪作が詩を書いた紙を大事に持っていたのだ。 洪作の眼に涙があふれる。

 洪作は妻と娘、妹と日本丸で外国へ出かけることになり、三女琴子と八重は世田谷の家で留守番する。 妻は乗船したところで、結婚式の時、八重から聞いた話を、初めて洪作にする。 台湾に渡るのは死ぬ思いだった、出航の前に輸送船が撃沈されたそうで、せめて長男だけは実家に預けて、海を渡る時は一人だけは残す、血筋が途絶えたらご先祖に申し訳がない、一人でも生きていける気性の激しい子は残しなさい、と言われた。

その頃八重が徘徊、たまたま船から電話した洪作が、それを知る(結局、出航前に一人下船する)。 八重は、トラック運転手の溜り場に現れ、「息子に会いたい、沼津の港に行きたい」と言う。 ちょうど沼津の御用邸方面に行く運転手がいて、八重を乗せて走り出す。 そこへ琴子が現れ、別の運転手のダンプに乗せてもらい、東名高速を追いかけることになる。

沼津中学の頃、飛び込み台まで泳いだという浜辺で、八重と琴子、そして洪作が合流する。 琴子は途中、八重が車に酔って病院に行ったり、親切な運転手の世話になって大変だった、と話す。 洪作は、琴子を抱いて、ご苦労様でした、と。 八重をおぶって、海に入る洪作に、八重は「ありがとうございます。どこのどなたか存じませんが…」と、言う。

 映画の原田眞人監督は、沼津市生まれ、静岡県立沼津東高校卒、つまり井上靖の沼津中学校の後輩である。 井上靖の年譜では、家族全員が前年に赴任した台湾の父のもとに移って、井上靖が三島の親戚に預けられるのは、17歳の1924(大正13)年だから、そこに映画としての脚色があると思われた。