『漱石研究年表』の井上眼科一件2021/11/21 08:03

 子供の頃、中延の裏の家にお住まいだった福島一生さんが、16日の「私の祖母も芸者で、医者の妾」にコメントをつけてくれた。 福島さん、「カズオちゃん」は、兄と私の間の兄に近い年齢で、子供の頃、兄たちと遊んでいて、後に慶應義塾大学に進み、偶然兄の入っていた海洋研究会で一緒になったりした。 夏目漱石に関心をお持ちの福島さんは、昨日の「漱石の初恋の人?と井上眼科病院」を出す前に、「井上眼科で漱石が見染めた、〇〇髪の女性がコーちゃんのおばぁちゃん、だったのでは??と勝手に愉しい想像してます。」と、書いてくれた。

 それで「〇〇髪の女性」を調べようと思って、漱石の子規宛の書簡を探すことにした。 荒正人著『漱石研究年表』(集英社)で明治24(1891)年を見たら、その手紙が7月18日(土)付だと分かった。 前日7月17日(金)、「眼病で毎日のように通っている眼医者で、銀杏返しにたけながをかけた、細面の娘に突然逢って驚く。以前から心を惹かれていた女性である。(この女性と何時、何処で初めて逢ったかは分らぬ。この女性の素性もよく分らぬ。)」とある。

 「たけなが」が分からない。 『広辞苑』を引くと、「丈長」、「奉書紙の類で、質厚く糊気のない紙をたたんで、平元結(ひらもとゆい)にしたもの。元結で結んだ上にかけて飾りにした。」とあった。 ついでに「平元結(ひらもとゆい)」は、「丈長紙を普通の元結より幅広に切って、平らにたたんだ元結。中(ちゅう)元結。」

『漱石研究年表』、7月18日(土)の項。 「前日の衝撃を正岡子規に手紙で報告する。(正岡子規には、すでに語っていたものと推定される。突然に出逢ったので強い衝撃を受けたらしい)」

 脚注に、こうある。 「手紙封筒には、「眞言秘密封じ文」とある。この頃、小説を書きかけたのもこの件と関係あると推定される。(石山徹郎)この手紙は漱石の初恋について記されたとして最も信頼できる。

次に傍証として、鏡が漱石や他の人たち聞いた話をまとめた夏目鏡子述松岡譲筆録『漱石の思ひ出』(昭和3年11月23日 改造社刊)には、(1)井上眼科で逢ったのは、小石川の法蔵院に下宿していた(明治27年10月16日(火)から下宿)頃のこと。(2)死去の4、5年前に、高浜虚子に誘われて、九段の能楽堂に行った時、20年ぶりに逢ったらしい。女は結婚していた。直矩(漱石の次兄)は、その女の名前を知っており、鏡も聞いたが忘れたと述べられている。」

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