久しぶり「三田あるこう会」碑文谷散策2021/11/24 06:59

 井上靖の自伝的映画『わが母の記』をきっかけに、井上靖のファミリーヒストリー、さらにわがファミリーヒストリーや井上眼科を書いている内に、いささか旧聞になってしまったが、11月7日(日)に第538回の「三田あるこう会」があった。 長かった新型コロナ感染症の脅威も幾分軽減されつつあるということで、昨年12月6日の「谷中 全生庵と芸大近辺の散策」以来、約一年ぶりの開催である。 ずっと家に籠っていて、散歩にも出ていないので、果たして長距離を歩けるのか心配なところもあったが、今回は「碑文谷(ひもんや)散策」という、ごく身近な、道程も短く極めてフラットなコースだということで、試しの足慣らしに参加させてもらうことにした。

 以前住まわれていたとかで、地元のことをよくご存知の竹内幹事長と、辻さんの当番で、10時30分の学芸大学駅集合。 自由が丘からの私は、最短の集合場所だ。 まず、碑文谷公園へ。 途中、ケーキ屋マッターホーンの横を通ったので、宮川会長に「例のKさんのお母さんがお勤めだった」と、野次馬情報を伝える。 碑文谷公園は、日曜日でボートに乗っている人などもいて賑わっている。 ご近所96歳の大先輩古参会員が来られてご挨拶、たいへんお元気、後で昼食をご一緒するという。 歩く方の最高齢会員は91歳、私など、よぼよぼしてはいられない。 一年越しに入会を待っていたという新加入の渡邉さんは、句会や新聞部の会でお馴染みだった。

 実は碑文谷界隈、子供の頃、清水町(現、目黒本町2丁目)に父の工場があったので、ファミリーヒストリーに関わる懐かしいところだ。 それで昭和27(1952)年6月30日まで、東横線の「学芸大学」は「第一師範」、「都立大学」は「都立高校」という駅名だったのを、知っていた。