「自我作古」「独立自尊」の伝統2021/12/07 07:05

 慶應義塾志木高校は、1948(昭和23)年に開校した慶應義塾農業高校を経て、1957(昭和32)年に普通高校に転換すると同時に、今の校名に改めた。 私はその年に入学した、普通高校の1期(農高から通算10期)生だ。 皆、新しい学校をつくりあげるのだという気分に満ちていた。

 後に、福沢諭吉先生に「自我作古」、我(われ)自(よ)り古(いにしえ)を作(な)す、という言葉があるのを知った。 みずから新しい分野の開拓者となることを意味する。 慶應4(1868)年、学塾を慶應義塾と命名し、「慶應義塾之記」を発表したが、そこで前野良沢、桂川甫周、杉田玄白など蘭学を切り開いた人たちの努力に触れ、「只管(ひたすら)自我作古の業にのみ心を委(ゆだ)ねた」と、彼らの研鑽を評し、慶應義塾が洋学を継いでいく使命を示している。

『青春スクロール 母校群像記』の冒頭、「各界に約1万6200人を輩出。慶應義塾の創設者、福沢諭吉が説いた「独立自尊」の精神と共に活躍する卒業生の青春を追う」とある。 昨日、そのインタビューの答のエッセンスを拾い出していて、普通高校転換初期に私が感じていた校風と同じものが色濃くあるのを感じた。 おこがましく、われわれが、その礎を作ったと言いたいところだが、実は、慶應義塾という学校の伝統だったのである。 それに改めて気づかせられた。 孫悟空が筋斗雲に乗って、どんなに遠くに飛んで行っても、お釈迦様の手のひらの中だったという『西遊記』を思い出す。