「なぜ写真には笑顔で写るのか?」2022/01/07 07:12

 12月24日放送の『チコちゃんに叱られる』に、「なぜ写真には笑顔で写るのか?」というのがあって、岩井茂樹大阪大学教授が解説していた(2020年の論文「「笑う写真」の誕生」で発表)。 答は「ニコニコ主義があったから」。 明治時代の終わり、明治37年頃からは、日露戦争や大逆事件などがあり、日本が暗くなった時代だった。

明治44年、不動貯金銀行頭取牧野元次郎(もとじろう)が、月刊雑誌『ニコニコ』を出し、ニコニコ倶楽部をつくり、ニコニコ主義を広めた。 「世の中のことはすべてニコニコ的に解決する平和も成功もみなこのニコニコ主義より生ずるものと信じる」。 牧野元次郎は有名財界人や政治家にも賛同を求め、会合に押しかけては「笑う写真」を撮った。 不動貯金銀行でも『ニコニコ』を販売、一定の貯金をした人には無料で配った。 当時最高の発行部数だった『婦人世界』が8万部、『ニコニコ』は7万部。 不動貯金銀行は、今の、りそな銀行につながるという。 もう一つ、露光時間が、初期の2分から数秒になったことも、「笑う写真」に効果があった。

実は、私は「等々力短信」に「笑う写真」について、日本人で初めて笑顔の写真を撮られた人を探して、二回書いていた。

 笑顔の写真<等々力短信 第638号 1993(平成5).6.5.>(笑顔の写真〔昔、書いた福沢62〕<小人閑居日記 2019.5.28.>)

「笑顔の写真」その後<等々力短信 第652号 1993(平成5).10.25.>(「笑顔の写真」その後〔昔、書いた福沢63〕<小人閑居日記 2019.5.29.>)

そこでは中岡慎太郎が、歯を見せて、豪快に笑っているのを発見していた。 中岡慎太郎は1867(慶應3)年11月15日に、坂本龍馬と一緒に京都で斬られたから、この笑顔は少なくとも慶應年間のそれということになる。 外国の初期の写真にも笑顔はないので、写真の実用化から、日本渡来までたったの9年、日本人初は世界初かもしれない、とも書いていた。