猶と夫婦になったけれど、植物学に夢中2022/02/08 07:08

 明治15年の3月、いつもと違う七段の雛飾りを見て、祖母に聞くと、「お猶の嫁入り道具だ、昨年上京前に話をし、祝言は3月末でええかと問うたら、お前さんはそれでええと言うたぞね」 「祝言、それ、まさかわしの」 「ほかに誰がおる」

 富太郎と猶は結婚したわけだが、甘い新婚らしい生活の描写はまったくない。 富太郎は、祝言の翌日から以前と変わることなく蔵で寝起きし、朝夕の膳の時だけ母屋の座敷に坐る。 朝から握り飯を拵えさせて方々に採集に出て、夜が更けてから帰る日も多い。

 「いつまで放っちょくつもりで。もう三年になろうというに富さんがいつまでもよそよそしいき、お猶は途方にくれちゅうがで」 祖母は、猶の部屋をいっこう訪ねぬことを暗に指して、「あの子の立場も、ちったあ考えちゃんとね。可哀想に」と、未だ子を生していないことも含めて、猶の面目を案じる。 猶は「旦那様」と言うが、富太郎が目を合わせたとたんに、首から上を赤黒くして、頬を強張らせる。 岸屋の経営は、祖母と竹蔵の時と同じように、猶と猶の一歳下の若い番頭の和之助が、もっぱら仕切っている。

 祖母の浪が亡くなった時も、富太郎は日暮れまで植物採集に出ていて、岸屋の塀が見えると、ずらりと白提燈、線香の匂いがした。 和之助が、お寺と相談して、葬儀の段取りを決めていた。 四十九日までは七日ごとに法要がある。 富太郎もさすがに最初は神妙に務めていたが、だんだん慣れて、僧侶の読経が終わるや、羽織袴を脱ぎ捨てて、採集に出かけるようになった。 猶に襟髪を掴まれ、これから五十人を下らぬ親戚や村の衆に膳を出すのに、「旦那様が主になって冥福を祈るがが道理じゃないですろうか。私だけでは礼を失します」 猶の言うことは正しいのだろう、それは承知している。 しかしその正しさはいつも、富太郎の胸の裡を逆撫でする。

 実は、お猶、腰巻文学にあった「恋女房」ではない。 非常に可哀想な女性だ。 少なくとも、本の前半は…。

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