公孫樹(イチョウ)の雌雄、結婚の解明 ― 2022/02/13 07:48
公孫樹(イチョウ)に雌雄があることは、聞いていた。 だが、どのようにして、銀杏(ぎんなん)になるのか、考えたこともなかった。
明治24年に矢田部教授が非職(休職)になり、牧野富太郎は、教授になった松村任三に呼ばれ、9月植物学科助手として月俸15円で採用された。
小石川の植物園で農科大学の池野成一郎と待ち合わせると、平瀬作五郎と銀杏(ぎんなん)採りをしていた。 ヨーロッパに公孫樹が広まったのは、この庭の主が綱吉だった元禄時代、オランダ東インド会社の医師ケンペルが持ち帰ったものが契機らしい。 50年ほど前、ドイツのホフマイスターが公孫樹の生殖器官の研究をし、裸子植物も一様ではなく、花粉に進化前の精虫を持つものがいるかもしれないとの可能性を示した。 その後、ロシアのベリャーエフが西洋櫟(イチイ)の受精を明らかにし、ドイツのシュトラスブルガーも公孫樹や蘇鉄(ソテツ)の受精を調査中だが、まだ精虫の確認はできていない。 10月頃に成熟して落ちた銀杏には胚芽が認められないので、受精していない種子であろうと考えていた。 しかし3ヵ月後に再度調べたら、胚芽ができている。 とすると落下後に精虫によって受精し、冬の間に胚が発育するのではないかという仮説を立てた。 公孫樹の花粉が、雌の木に達し、そこで発達していく理論を図にまでしているけれど、まだ証明できていない。
平瀬と池野は、それを証明する研究をしているのだ。 公孫樹は4月から5月、雌雄別々の木に雌花と雄花が開花する。 雄花の花粉の中に精虫がいることを証明するためには、受精がいつ行われるか、突き止めなければならない。 それで毎日、公孫樹の木に登って、銀杏採りをし、実の中に受精が確認される胚珠ができているかを調べているのだ。 東京の公孫樹の受精最盛期は9月中旬らしいという仮説にまでは漕ぎつけた。 池野は、蘇鉄にも公孫樹と同様のしくみがあり、精虫がいるのではないかという仮説を証明しようとしている。
採り集めた銀杏の胚を薄く切って、プレパラートにして、大学に帰り、一枚一枚、顕微鏡で覗いていく。 翌年9月9日、平瀬はとうとう成功した。 生の銀杏の薄片を顕微鏡で観察中、鞭毛を持った球状の小さな虫で、後ろに尖鋭な尾状のものがあるのが、視界を横切ったのだ。 26日学会の例会で発表、10月20日発行の『植物学雑誌』に論文「いてふノ精虫ニ就テ」を寄せる。 雄の木の雄花に精虫がいるわけではなかった。 春に雄花の花粉が風に吹き送られ、雌の木の雌花に付着する。 いわば婿入りだが、婿はまだ幼い男児だ。 雌木はその男児を大切に養い、娘である卵(ラン)をも養って生長させる。 そして秋になり、花粉から生長した透明な袋の中で微細な白い塊であったものが精虫に育つ。 繊細な毛が生え、活発に動く。 袋の周囲も液体で満たされた頃、精虫は袋から出て泳ぎ、許嫁である卵の許へと向かう。 雌の木は、春に雌花についた花粉を秋までかかって精虫に育て上げ、卵と結婚させるのだ。 こうして公孫樹は、子孫を残してきた。
世界で初めての、裸子植物における精虫の発見だ。 20年後の明治45年5月になって、ようやく、平瀬作五郎は「公孫樹の精虫の発見」、池野成一郎は「蘇鉄の精虫の発見」の業績で、帝国学士院恩賜賞を受けた。
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