森鴎外と牧野富太郎、圓生のまくら2022/02/14 07:08

 『ボタニカ』に鴎外、森林太郎が登場する。 大正元年になってから、平瀬作五郎と池野成一郎の帝国学士院恩賜賞のお祝いをしようと、牧野富太郎が浅草のすきやき屋で一席設けた。 実は勘定を、京都への汽車の時間があって先に帰った平瀬が済ませてしまったのだが…。 その時、池野が、いつも小石川植物園にお越しになっている森閣下の『田楽豆腐』という小説が載っていると、三越呉服店の冊子『三越』をくれた。 そういえば、いつかの初夏、四阿(あずまや)で書物を開いている、額が秀でた、凛々しいカイゼル髭の紳士を見かけたことがあった。 女の子の声がして、「パッパ」と聞こえた。 芝生にはうら若い婦人と小さな女の子がいて、西洋の乳母車が置いてある。 園丁らの話では、陸軍軍医総監・森林太郎閣下は、植物について造詣が深く、一家での散策だけでなく、草花の名前を確かめるために植物園を訪れることもあるらしい。 森閣下、森鴎外の『田楽豆腐』なる小説は、まさにその植物園行きについて夫人が訊ねるところから始まるのだった。

 牧野富太郎が飯沼慾斎翁の『草木図説』を増訂・解説した『増訂草木図説』に、オランダダンドクという植物についての項で不明の文言があった。 飯沼翁は、旧幕時代に渡来して「カンナインヂカ」と呼ばれていたこの植物が、「普通ニカンナインヂカノ名ヲ以テ持(モタ)リ此種ニ称スルハ舌人ノ訛伝(カデン)ニ出ルナリ」と書いていたが、この「舌人」の意味がどうしてもわからなかった。 牧野は「補」で、舌人とは古人、あるいは世人を指した語句ではないかと推測し、「「カンナインヂカ」という名称は、昔の人間、あるいは本草家でない者が訛(なま)って言い慣わしてきたものに由来すると翁は述べておられるのだろう」とした。 ところが、大学を通じて、森閣下から伝言があり、 「舌人とは通詞、通訳人のことだ」との教示に、感激したのだった。 疑問はするりと解けた。 「カンナインヂカ」という名は、「蘭人から聞いた通訳人の誤伝である」と、慾斎翁は指摘していたのだ。 鴎外森先生のおかげで、明治41年の一輯最版時に「補」の当該箇所を削除することができた。

 大正6年5月、森林太郎閣下から問い合わせがあった。 「江戸時代末の医師、儒者である伊澤蘭軒が「楸(しゅう)」という植物について記している。これがいかなる樹木であるか、判然としない。調べると楸は古(いにしえ)の梓(あずさ)、今のあかめがしわだという答解の端緒を得たるも腑に落ちず、植物学の書にあたっても明瞭な答えが得られない。教示を乞う」 富太郎はすぐさま、回答した。 「「楸」は本草家が尋常、「キササゲ」としているもので、カタルパ属の木。「あかめがしわ」は普通に「梓」としてあり、マルロッス属の木。一方、「あずさ」は今の名を「よくそみねばり」、又は「みずめ」、学名はベツラ・ウルミフォリア、樺木(カバノキ)属の木。」、つまり「楸」はキササゲであり、アズサとアカメガシワもまたそれぞれ異なる植物であると。 その後、東京日日新聞の連載小説『伊澤蘭軒』に、牧野富太郎に「楸」について訊ねたこと、その返信のやりとりが記され、「幸いに牧野氏は私を教うる労を惜しまなかった」とあった。

 三遊亭圓生が大晦日の噺「掛取り万歳」のまくらで、こうやっていた。 「四季を詠みました歌に、  春椿 夏は榎で 秋楸(ひさぎ) 冬は梓で 暮れは柊(ひいらぎ) この歌をもじりまして、式亭三馬という人が、  春浮気 夏は元気で 秋ふさぎ 冬は陰気で 暮れはまごつき という、まことにうまいことをいいましたが……。」 (三遊亭圓生『圓生・噺のまくら』(講談社))

 私は、この「楸」が、ずっと気にかかっていた。 漢和辞典で「楸」を見ると、「ひさぎ。きささげ。ノウゼンカズラ科の落葉高木。葉は桐に似、初夏に管状の花を開き、ささげに似た実を結ぶ」とあった。 また、「カタルパ」catalpaは、英和辞典で「キササゲ《ノウゼンカズラ科の高木》」だった。

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