小石川植物園、京華学園、黒澤明、映画『赤ひげ』2022/02/18 07:15

 昨年の秋、ずっと行ってみたいと思っていた、小石川植物園へ初めて行った。 都営三田線の白山から、坂を上っていくと、左手に京華学園があった。 京華学園は、ここだったのかと思った。 京華学園は、明治30(1890)年本郷区龍岡町で磯江潤が創立、明治33(1900)年5月本郷区東竹町に移り、大正12(1923)年9月の関東大震災で焼けると、この白山の地(小石川原町)に移り大正14(1925)年12月に新校舎が出来たという。

 映画監督の黒澤明が京華中学だと聞いていた。 大正11(1922)年、府立四中の受験に失敗しての入学だから、東竹町に入り、何年生から白山に通ったのか、大正13(1924)年学友会誌に載った作文「蓮華の舞踏」が、国語教育で有名な小原要逸先生に「京華中学創立以来の名文」と褒められたという。 昭和2(1927)年卒業。

 小石川植物園、現在白山駅寄りの裏門は入場できず、坂を下りて正門から入る。 入園料は一般・大人500円(「小石川植物園」で検索すると、東京都文化財めぐり、TOKYOおでかけガイド、じゃらんなどは400円、他に教授が案内しているサイトに330円というのもあった。みな情報が更新されていない)。

 小石川植物園は、徳川幕府が337年前の貞享元(1684)年にここに設けた「小石川薬園」に源を発している。 その後、徳川8代将軍吉宗の享保の改革の折、享保7(1722)年に町医者小川笙船の意見により、貧困者のための施療所「小石川養生所」がつくられ、明治維新まで続いた。 この旧養生所の井戸は、現在も残っており、水質がよく、水量も豊富で、大正12(1923)年の関東大震災の時には、避難者の飲料水として大いに役立ったそうだ。

 「小石川養生所」で思い出すのは、黒澤明監督の映画『赤ひげ』だ。 昭和40(1965)年の東宝作品。 原作は山本周五郎の『赤ひげ診療譚』。 三年の長崎留学を終えた若い医者が、小石川養生所への坂を上って、門から入って行くところから始まる。 加山雄三のデビュー作だったか、凛々しい若い医者の姿が印象に残っている。 赤ひげは、三船敏郎。 香川京子や二木てるみが出ている。 なぜか、たくさんの風車が、クルクル回っているシーンを憶えている。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック